永遠のゆく先へ #21「異端科学」 「NULL……INSTITUTE……OF……HERETICAL……SCIENCE……?」 リカは、研究ポスターのロゴの文字を読み上げる。 「ヌルって何? インスティテュート……ヘレ……ティカル?」 さっきからカナタの頭ははてなマークでいっぱいのようだ。 「ヌルってのは、何もないことを意味する言葉だな。読み方はナルかもしれない。Instituteは研究所。Hereticalは……何か聞いたことあるけど、何だったっけな。『ナル何とか科学研究所』ってところだな」 そう言ってリカは何の気なしに周囲を見渡す。すると、もう一つの部屋の入口から、「誰か」が静かに入ってくるのが見えた。 「……ッ!!」 リカは、部屋の中に「黒いアイツ」を見つけたかのように、静かに臨戦態勢を取る。入ってきたのは人間のようだが、全身黒焦げで服はボロボロ。 リカの様子のおかしさに、カナタは彼女の視線の先を確認した。 「わーっ!!」 カナタが遅れて叫ぶと、そいつはゆっくりと首をこちらに向ける。 「バカ!! 叫ぶな!!」 リカは慌ててカナタの口を押さえたが、そいつは早歩きでこちらに向かってくる。 「とりあえず、逃げるぞ!」 リカは叫ぶ。3人は再び廊下を走ることになった。 また角を何度も何度も曲がる。結構な距離を逃げたが、幸いにしてそいつの足取りは速くなかった。とっくに撒いていたようだ。 「はぁ……はぁ……」何度も走らされ、マリは心が折れかけていた。 「はぁ……なんなんだ……あいつは……」とリカ。 「……なんかさ、気のせいかもしれないけど……」カナタが口を開く。「女の子……っぽく見えたような」 マリは周囲を見渡す。この辺の廊下、やけにボロボロだし焦げ臭いような……。 マリは、近くの壁を見た。扉の周囲が木っ端微塵に破壊され、部屋の中が筒抜けになっている。その部屋の床には大きな穴が開いており、その下には暗闇が広がっていた。案内板が外れて落ちている。マリは指さした。「ねえ、これ……」 そこには、「第4チャンバー」と書かれていた。 「は!? ここが!?」リカは声を裏返らせて驚く。まさに爆発現場で、機動部隊がひしめいているはずの場所だった。 「にしては……誰もいないけど……」とカナタ。 3人は恐る恐る部屋の中に入り、穴に近づく。 その時、ミシミシという音が周囲に響き渡った。 「まさか……」 リカの予感通り、穴は広がり、バキッという音を立てて床が抜けた。 「わーーーーーーーーっっ!!!!」 3人は、一段下の階に落とされた。 「おーい!」マリは威勢のいいカナタの声で意識を取り戻した。 同時に、強烈な不快臭がマリの嗅覚を全力で攻撃してくる。どういう系統とかではなく、腐敗臭、アンモニア、硫黄、それから排泄物、思いつく限りすべての悪臭が混ざったような臭いだ。 元々薄暗かったが、ここは全体的に真っ暗に近い。今しがた開いた穴からわずかな光が漏れているものの、数メートル先も見えない。 「痛たたた……」マリは膝をさすりながら立ち上がる。瓦礫のせいで足場が悪い。 「どうやらここは地下4階……のはずだが、他より一段と暗いな。使われてないのかもしれん」 リカは鼻をつまみながら、4メートルほど上にある穴を見上げて言った。「戻るのは無理……だよな?」 3人は廊下に出る。少しずつ歩いていると、マリは足に何かグチョっとした感覚を覚えた。 「……ヒッ」言葉にならない悲鳴を上げるマリ。 「なんだなんだ? 何も見えないぞ……」リカにとっては、メガネがない上に暗いから、視界は最悪の状態だ。 壁を伝って一歩ずつ歩こうと、カナタは壁に手を触れる。 「うひゃぁ!!」彼女もまた叫ぶ。 「今度は何だ?」鬱陶しそうなリカ。 「なんか、ヌメってしてる……」服で手を激しく拭う音が聞こえる。 仕方がないので、3人くっついて、足場に気を付けてゆっくりと歩く。少し歩くと、リカが暗闇の中で何かを蹴っ飛ばしたようで、コロコロ転がる音が聞こえた。音を頼りにカナタが触れると、それは懐中電灯だった。 「お、ラッキー。地獄に仏とはこのことだね」 そう言って懐中電灯をつけると、周囲には恐ろしい光景が広がった。 壁にはあちこちに血痕や透明な粘液、床には黒いシミや黄色い何かがいたるところにべったりと。ところどころ腐ったような肉片が落ちていて、それがマリの靴にも付着している。慣れかけた臭いが再び復活したように思えた。 「ウッ……こんなところ……さっさと出たい……」 カナタはそう言って懐中電灯を正面の床に向けた。 そこには、こちらに向かって体を這いずらせながら近づいてくる、ゾンビのような人影があった。 「ぎゃーーーっっつっつ!!!」 3人で一斉に悲鳴を上げ、逆方向に走る。すると逆側からも同じようなゾンビがやってくる。よく見ると各方向何体もいる。完全に囲まれてしまった。 「ど、どうする!?」とカナタ。 「……とりあえず、ここに逃げこもう」 リカは、ちょうど近くにあった部屋の扉を開けた。3人は我先にと逃げ込む。 部屋の中も相変わらずの悪臭と汚物まみれ。マリは無性に鼻栓が欲しくなった。 そこは今までの実験室とは少し違い、背の高い蓋つきの棚が大量に並んでいる。そのうちの一つは開いており、周囲に黒いシミがべっとりついている。中には大きな容器があり、透明な液に漬けられて、握りこぶし大の臓器が入っていた。 「ウ……ここってこんなのばっかなの」カナタはもういつもの元気を完全になくしていた。一方、リカはそこに付けられたタグを見ている。 「副膵臓……?」リカは訝しむ。 「なにそれ。そんなのあったっけ」とカナタ。 「いや、聞いたことない。というか、ないだろ」 同じ扉の中にもう一つ容器があり、そちらはより大きく、「副肝臓」と書かれていた。 「これもありえない。なんなんだこりゃ……」 すると、マリが扉の中にリングで綴じられたノートを見つけた。 「これ……何だろう」 マリが手に取る。「Research Notebook」と書かれている。例によって研究ノートのようだ。 「これは……」リカはそれを開き、顔に近づける。カナタは電灯の光を当てる。それは以下のような内容だった……。 実験日: 6/3 実験内容: 副膵液(第3世代)によるリグニン分解試験 結果: 反応なし。 メモ: 流石石炭を生み出しただけのことはある。キチンやセルロースとはわけが違う。 実験日: 6/3 実験内容: 副膵液(第3世代)によるPETフィルム分解試験 結果: 24時間で固形分が完全に消失、分解した。 メモ: これでプラスチックに関してはPLA、PBS、PETで成功したことになる。目標はPP、PE、PVCだ。 実験日: 6/4 実験内容: リアクター(AH-419)による遠隔動力学試験 結果: 試験中、エオナイトを置いた台が振動したことで副膵液が漏出、周辺組織が自己消化を起こす。内規に従い、処分役へ引き渡した。 実験日: 6/7 実験内容: 副膵液(第3世代)によるポリプロピレン分解試験 結果: 表面の侵食および細片化を確認。 メモ: in vitroではあるがPPの分解に成功した! だが、エネルギー管理がネックになるだろう。ノア研ならそこら辺のノウハウを持ってるかもしれない。ついこの間も副肝臓のエネルギー貯蔵量が40000kcalに達したとか言っていた。明日聞いてみよう。 実験日: 6/8 実験内容: リアクター(AH-421)による遠隔動力学実験 結果: 羽(約0.5 g)がわずかに振動したが、リンゴ(約300 g)は動かず。 メモ: どうも後付けの人工臓器という発想自体の限界かもしれない。考えてみれば、遺伝子から生み出してるのだから、最初から設計できるわけだし。となるとレオン研とかの仕事になるわけだ。うちはうちで人工臓器の可能性を突き詰めることにしよう。 「……人工臓器?」とリカ。 「この、リアクターって何なの?」カナタが問う。 「原子炉……みたいな意味だったと思うが……」 日付: 6/9 特記事項: この間の論文の技術を使ったリアクターが出力テスト、耐久テスト両方の記録を更新したらしい。私の貢献はそんなに大きくないだろうが、方向は間違っていないということだろう。 日付: 6/10 特記事項: 残念ながら、昨日のリアクターは副肝がんを発症してしまったようだ。生命は絶たれなかったが、もうリアクターとしては使えないそうだ。ちょうど処分役が不足してたのが不幸中の幸いか。 日付: 6/11 特記事項: 今日、上からプロジェクトの中止とチームの解散が通告された。やはり人工臓器はもう時代遅れってことだ。 表じゃこんなスピード感はあり得ないが、だからこそ進歩しているという側面はあるのだろう。とりあえず次のテーマに注力しよう。 「ふむ……これ以降は白紙になってるな」紙をペラペラとめくるリカ。 「リアクター……生きてるの?」とカナタ。 「だろうな。この感じからすると……この人工臓器を移植し、超人的な力を使えるようにする……つまり、あいつみたいな力を付与された人間」 「じゃあ……トワっちもリアクターなのかな」 マリはつぶやく。「処分役……って何だろう?」 リカは何げなく手帳を最後までめくる。 「ん? 最後だけ書き込みがあるぞ」 そこには、これまでとは全く異なる筆跡で、殴り書きされたメモがあった。 あんなことはするべきではなかった 結局、生命とは人間の手に負える代物ではなかった そんなことを思ったのはここに入って以降、初めてだ こんなこと口に出せば間違いなく除名処分にされる でも構わない。どうせ死ぬのだから これを読んでいる者がいたとするなら、まかり間違ってもこんなことをしないように願う 人は誰でも唯一無二であり、そうでなければならなかったのだ それを見たマリは、猛烈な不安に襲われた。そして床を見る。よく見ると小さな白い破片がたくさん転がっている。骨……? その時、扉の方からドンという鈍い衝撃音が聞こえた。 「まずい、入ってくる」 次の瞬間、扉が破られ、全身火だるまの人型生物が現れた。 「うわっ!!」 火だるまは、走りながらこちらに迫ってくる。さっきの這いずるやつとは違って速い。3人は棚の間をぬうように走り、何とか部屋から脱出に成功した。 「ああもう、走ってばっかだよ!!」とカナタ。彼女の持つ懐中電灯の光が前方で揺れる。 リカは少し先の角を見て言った。「そこに階段があるな、これで戻れ……」 しかし角を曲がると、突然目の前に壁が現れた。 「あれ……?」リカは困惑する。「……階段ってこの辺じゃなかったか……? 他の階はそうだったはずだが」 カナタは壁をライトで照らす。表面がつるつるしていて汚れはなく、若干虹色っぽくも見える。叩くとコツコツと音がした。 リカは言った。「……封鎖されてるんだ。この階はもう使われてないんだよ」 「嘘だ……」カナタはへたりこむ。「出られないってこと?」 「いや……何か手掛かりがないか探そう」 3人は少し歩き、「被検体収容室」のそばまでやってきた。 造りは3人が収容されていた場所に似ている。だがここは鉄格子ではなくアクリルガラスになっている。ガラスにはやはりと言うべきか汚物がべっとり付着していて、ずっとしていた悪臭がここではさらにひどい。おまけに、うめき声や叫び声、床や壁を叩いたりひっかいたりする音があちこちから聞こえてくる。 「は、吐きそう……」マリが口を押さえながら言った。 「ほ、ホントに行くの……?」とカナタ。 「少しでも手がかりを集めないと……このままここで待っててもどうにもならないだろ」 リカはエオナイトを握りしめながら言った。 3人は歩みを進める。空の房もあれば、中で泥のような人型生物が倒れている房もある。ガラスが破れている房もある。そういう房は例外なく誰もいなかった。脱出してどこかに行ってしまったのだろうか? やがて3人は「管理室」までたどり着いた。中はひどく荒らされているが、複数のモニターと端末、何に使うかよくわからない計器や装置がある。 床に、ボロボロで汚れたファイルが落ちている。 「なんだこれ。メールのやりとりか……?」リカはそれを開く。どうやらメールがプリントされて保管されているらしい。 Date: Nov. 3 15:52 From: レオン博士`` To: 第4被検体管理室`` Subject: 被検体の移送について Message: 本日、新たに3体の被検体をそちらに移送しました。今回もリアクターの適格基準に達しなかったため、処分役への割り当てになるかと思いますが、よろしくお願いします。 Date: Nov. 3 16:02 From: 第4被検体管理室`` To: レオン博士`` Subject: Re: 被検体の移送について Message: 3体の受け入れを確認しました。ただ、クローン実験の本格化以降、被検体の増加ペースが著しく、収容房の空きがかなり厳しくなっております。処分役は現状で足りておりますので、ご配慮いただけますと幸いです。 Date: Nov. 4 08:21 From: 第4被検体管理室`` To: レオン博士`` Subject: 被検体のテフロン分解処理の報告 Message: 昨日回していただいた被検体AH-472ですが、テフロンが分解できるとのことで実際に試しましたが、実環境でも問題なく機能していることを確認いたしました。 Date: Nov. 5 18:47 From: 第4被検体管理室`` To: レオン博士`` Subject: 本日のニトリルゴム分解実験について Message: 本日立ち会わせていただきました分解実験の件で連絡です。被検体にニトリルゴムを投与した後、激しい嘔吐反応が見られたため、現場判断として一旦中止をご提案させていただいたのですが、最終的に無理に経口摂取させる形となってしまいました。結果として消化はできておらず、博士が去られた後再び吐き戻し、房内の清掃や後始末にかなり手を焼くことになりました。実験の趣旨は重々承知しておりますが、後処理の負担もございますので、次回以降はもう少し様子を見ながら進めていただけますと幸いです。 Date: Nov. 6 13:36 From: レオン博士`` To: 第4被検体管理室`` Subject: Re: 本日のニトリルゴム分解実験について Message: 実験への立ち会い、および後処理ありがとうございました。我々としては、ニトリルゴムの生体分解が実現できれば、キャンパス全体の廃棄物を劇的に削減できると考えており、多少の拒絶反応は想定の範囲内として継続させていただいた次第です。結果としてご負担をおかけしてしまい恐縮ですが、ご理解いただけますと幸いです。 「ねえ、『処分役』ってさ……」マリがリカを横目で見る。 「ああ……それとクローンってのは……」 リカは、ごちゃごちゃの机の上に何かを発見した。それは、ラミネート加工された紙がリングで束ねられたもの。表紙には「収容被検体一覧」と書かれている。 「これは……」リカが手に取り、驚嘆する。 大量の「被検体」が、顔写真とともにリストされている。そのすべての顔は、トワと見分けがつかないほど酷似していた。 (続く) ---------------------------------------- - タイトル: 永遠のゆく先へ #21「異端科学」 - 著者: 千本槍みなも@ナタクラゲ - 作成年: 2026 - URL: https://blog.natakurage.cc/articles/towasaki-021 - ライセンス: CC BY-SA 4.0