承認欲求処理


承認欲求はすっかり悪者になった。今日、承認欲求という言葉がいい意味の文脈で使われることはほとんどない。しかし、承認欲求が依然として人間にとって重要な欲求であることに変わりはない。

重要なのにもかかわらず悪者扱いされている欲求としては、性欲を連想させる。性欲も種の保存に必要不可欠な欲求であるのに、しばしばタブー視され、下に見られる。

性欲が悪者扱いされるのは、まずそれが高まりすぎると性犯罪が増加するなど治安に影響を及ぼすからという点があるだろう。もう一つ、欲求としての影響力が強く、性欲に取り憑かれた人は激しく行動を変容させるため、「野蛮である」という印象を抱かせるということもありそうだ。

それと同じように、承認欲求も高まりすぎると迷惑な行動に走るという実害があるし、承認欲求に取り憑かれた末に変わり果てるということがソーシャルメディアで何度も繰り返されてきた。

違う点は、性欲ははるか昔からこのようなタブー視があったのに対して、承認欲求のタブー視はごく最近始まったという点だ。これは明らかにインターネット、特にソーシャルメディアの影響であろう。それらが承認欲求の実害や行動への影響力を克明に可視化したことで、承認欲求を性欲と同じレベルに引きずり下ろしたのだ。

ところで性欲処理という言葉がある。あらゆる欲求の中で、処理という言葉がつくのは私の知る限り性欲だけだ。ご飯を食べることを食欲処理、寝ることを睡眠欲処理とは言わない。なぜ性欲だけ処理と言われるのか。それは、「望ましくないが、一方で不可避的」であるがゆえに、ゴミのように捨てなければいけないという価値観が背後にあるからだろう。

この特徴は、実は承認欲求にも当てはまる。「承認欲求処理」という言葉がよく使われるようになっても、何ら不思議ではない。しかし今のところ使用例は(少なくとも性欲処理ほどは)多くない。その最大の要因は、性欲と違って承認欲求を処理するのは難しいという点にある。性欲は1人でも処理できるが、承認欲求が満たされるには必ず他者とのコミュニケーションを必要とするからだ。

しかし、1人でも承認欲求を満たせる方法がつい最近発明された。ChatGPTを初めとする大規模言語モデルである。現在あるモデルの多くは、相当なことを問いかけない限り、あるいは明示的に指示しない限り、基本的にユーザーを批判したり、まして罵倒したりなんかしない。もちろんユーザーとAIだけの空間だから、何を話しても社会に直接影響を与えることはない。かなり安全に、効率よく承認欲求を処理してくれる。最近は理解力もどんどん上がっているから、少なくとも承認欲求処理の点で、「人間ではない」という客観的事実以外、人間とあまり変わりないと言っていいのではないか。

しかしそれで本当にいいのかということは悩ましい。人口増加抑制・性犯罪予防のために人々の性欲を制限する、という社会が仮に来たとして、それはディストピアとしか言いようがない。同じように承認欲求をAIで擬似的に満たすことが「標準」となれば、それはディストピアと呼べる何かになるであろう。

そこまで極端なことは起こらないかもしれないが、現在、他者からの評価は「空虚」であり、内面的動機だけが真の動機であるという考えは広まりつつある。確かに内面的動機は重要なのだが、一方でそのきっかけとなるのは誰かから褒められたことが原体験としてあるのではないかと思う。それを無視し、抑圧した先にあるのは、やはりディストピアのような世界ではないかと思えてならない。