根っこがうんこならジューシーフルーツは必ず漏れる


オモコロチャンネルの名動画。

「すな理論」「根っこが腐っていてはジューシーフルーツは実らない」「(炎上したくないなら)いい人間になりなさい」

いろいろな言い方で表現されているけど、要は、

「本性は必ずバレる」

ということだと思う。だから炎上したくなければ本性のほうをなんとかするしかない、小手先のテクニックなど本性の前では無意味なのだと。少なくとも私はそう受け取った。

これを最初に見たとき、思い出したことがある。

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「テスト文字列に『うんこ』と入れるな」という、インパクトのあるタイトルのスライド。ゲーム開発会社の新人研修用の資料だ。毎年のように更新されている。

その主張はシンプル。開発用のテスト文字列に「うんこ」と入れてはいけない。たったそれだけだ。

より一般には、外に見られてはいけないものをテスト文字列に使うことの危険性を啓蒙している。実際に「セシウムさん騒動」「Yahoo! Japanのプッシュ通知誤配信」などの例が挙げられている。

「うんこは本番環境に"必ず"現れる!!」

マーフィーの法則を彷彿とさせるが、これって結局、「見られてはいけないものは、いずれ必ず見られてしまう」ということなのだ。

この2つに共通するメッセージとは、つまりこのようなものではないだろうか。

「バレなければ大丈夫という安易な考えは捨てろ」

それは、例えば「バレなきゃ犯罪じゃない」という言説に対する、「バレなくても罪は罪である」のような倫理的視点からの反論とは微妙に異なるように思う。どちらかというと「どうせバレるからやるな」という、より実用的な啓蒙である。表面化しなければ良いと主張するのは結構だが、その確率をあまりに低く見積もりすぎてはいないだろうか?

「どんなに気をつけていてもミスは必ず起こる」「普段から誤爆してもよい振る舞いをするしかない」とあるように、我々がすべきことは「バレないようにする」ことではなく、「常にバレてもいいように生きる」ことなのだ。なぜなら、前者は単純に不可能だからである。

「バレなければいい」「外に漏れなければいい」という考えは、いつか、必ず破綻する。このことを胸に刻んで生きたい。