若者よ、「夢」から覚めろ、夢を持て
All of which are American dreams!
若者の「夢」離れと言われて久しい。かくいう自分も小学生の頃から将来の夢がなかった。
教室に張り出される自己紹介シートみたいなのがあって、そこに「将来の夢」という項目があり、周りはサッカー選手だの、運転手だの、お菓子屋だのと書いていた。今ならYouTuberと書くんだろうか。私は全然思いつかなくて、何か適当なことを書いていた記憶はあるが、何を書いていたのかは全く思い出せない。小学校の卒業式で、前の代までは卒業証書を授与される前に将来の夢を叫んでいたのだが、私の代は卒業生が多くて時間の都合で中止されたことに安堵したものだ。
夢は中学生になっても高校生になってもなかった。何なら今もない。だから、夢がないっておかしいのか、と思っていた。どうやらそんなこともないらしい。一説には4割程度の若者が将来の夢を持っていないという。
これに対して、けしからん、とか、つまらない、と言う大人たちの声が今にも聞こえてくるようだ。だが考えてみるとこれは当たり前のように思える。日本経済が長らく停滞し「失われた30年」と呼ばれ、近年では物価が上がっているのに賃金が上がらない。少子高齢化はますます進み、社会保障の持続性に暗雲が立ち込める。世界を見ても大きな戦争・紛争は絶えない。このような状況で夢を見ろという方が酷だ。これは言い切っていい。
もう少し踏み込んで考えてみると、そもそも夢というもの自体、巧妙に仕組まれた罠なのではないか? 非常に有名な例に、アメリカンドリームがある。アメリカンドリームは、「出自や階級に関わらず、努力次第で誰でも成功できる」という信念だ。しかし、現実には人種、階級、ジェンダーなど、個人の努力ではどうにもならないありとあらゆる要因で格差がある。
そして、「いつか自分も成功できる」という考えは、現状のシステムを疑う精神を麻痺させ、システムに従順に働くための強力なインセンティブになる。ほとんどの人間は実際には「ドリーム」を掴むことはできない。メディアに出てくる「成功者」は、皆努力の重要性を語る。だがその裏には、同じくらい、あるいはそれ以上に努力したにも関わらず報われなかった無数の敗者がいる。これは、ただ成功できないというだけではない。「いつか自分は成功するのだから、富裕層に不利な法律には反対する」というロジックで、本当は自分自身に不利な考えを支持してしまう。これは英語圏では「temporarily embarrassed millionaires(一時的に困窮した億万長者)」と呼ばれている。
アメリカンドリームを例にしたが、日本もまったく例外ではない。むしろ、それ以外の生き方がほとんど不可視化されているという点で、アメリカよりも深く「夢」を見ているとすら言える。もっと言えば資本主義社会では全部そうだ。資本主義は、自らを維持するために人々に「夢」を見せる。貧民に札束をちらつかせて、現状をどう打開するかではなく、どうやったらその札束を掴めるかを考えるのに夢中にする。そうやって人々を従順にしていく。アメリカンドリームは、キャピタリズムドリームなのだ。
この意味で、「夢」を持たないという態度は、実は若者自身のためになると考えることもできる。「夢」のために努力しても必ずしも成功できない、あるいはシステムによって成功できる可能性を制限されているという「現実」を正しく直視していれば、努力を無駄にしたり、あるいは搾取されたりすることもない。だからこそ、出世できる、あるいは出世すれば幸せになれるという「夢」を捨て、「静かな退職」をする若者が増えているのである。若者が夢を持たないのは、単なる諦めや無気力ではなく、搾取的なシステムに対する冷静な現実認識なのだ。
さらにこの「夢」は、考えてみるとみんな他者の夢である。「夢」の大きな問題の一つに、「自分の夢」を追いかけているつもりで、実は他者の夢を追いかけてしまう点がある。メディアが「成功者」の姿を称揚し、教育が「いい大学、いい会社、いい給料」というキャリアパスを示す。そんなのはつまらないと道から外れたとしても、レコード会社、出版社、芸能事務所、巨大プラットフォーム、広告スポンサーに依存し、その中で成功することをよしとする。この価値観は当たり前だが人の心の中から自然と湧き上がってくるようなものではない。むしろシステムが欲していることをあたかも自分自身の内発的な「夢」であるかのように勘違いしている/させる。もちろん、人の考えや好みはゼロから生まれるわけではなく、周りの影響の積み重ねであるのは自然なことだ。だが、そこに「この人にはこういう夢を見てほしい(そうすれば私が得をする)」という他者の作為がある以上、完全に自然なものだと呼ぶのは無理がある。最近は、親が就かせたい職業の筆頭である「公務員」が、高校生のなりたい職業で1位になったのがニュースになった。
若者よ、「夢」から醒めろ。
ここまでは、「システムの中で『成功』できる」という「夢」だった。しかし夢にはもう一つある。そう、「システム自体を破壊する」という夢である。
例えばキング牧師が「I Have a Dream」と語って人種差別というシステムの撤廃を訴えたように、例えばジョン・レノンが国家や宗教、所有というシステムのない世界を提示したように、システムから刷り込まれた「夢」ではなく、それを乗り越えた先にある別の世界という夢だ。
システムを破壊せよと叫ぶ人間は、夢想家だとかお花畑だとか言われて馬鹿にされる。ジョン・レノンの「Imagine」には、まさにこういう一説がある。
You may say I'm a dreamer (夢想家だって言うかもしれない)
だが、個人の視点から見れば、システムの中で成功できると考える方がよっぽど非現実的なのである。そう思えないのは、システムが定期的に成功者を輩出することで、システムの中で成功できるという考えを維持しているからである。
システムが維持される限り、一部を除くほとんどの人間は成功できない。いや、「成功」という言葉自体にも問題があろう。成功したからって幸せなのか? そもそも何をもって成功なのか? 間違いないのはシステムが多くの人を不幸にしており、それは「成功者」よりも圧倒的に数が多いことだ。だからこそ団結すれば、システムを変革することも可能なのだ。これはシステムが見せる「夢」よりも、よっぽど現実味がある。
これは、キング牧師やジョン・レノンのようになれというわけではない。どんな形であれスターになれると願うのもまた、前者の意味の「夢」だからである。大事なのは、こちらの夢が集団的な性質を持つということだ。システムは「少数の成功者」に焦点を当てたがる。しかし、社会変革については、すべての個人が必ずしも目立つ必要などない。いくら凡庸でもかまわない。声を上げる人が一人でも増えれば、大きな力になる。それが積み重なって、ついには臨界点を越え、システムが覆されるのだ。
若者よ、夢を持て。
But I'm not the only one(でも僕だけじゃない)
I hope someday you'll join us(いつかあなたが加わって)
And the world will live as one(世界はひとつになる)
