永遠のゆく先へ #9「私の中の力」

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千本槍みなも@ナタクラゲ
6670文字14分で読めます

「また失敗してしまったんだね」
「私たちが揃わないと、きっとその先には行けない」
「でも大丈夫、まだ次があるから」
「そう、何回でも、やり直せばいい」
「起こり得る可能性さえあれば、まだ続ける意味があるから」


ドサッという衝撃を感じた。結構な高さから落ちたような気もするが、そうでもない気もした。おまけに変な夢を見た気がした。何もない空間をさまよっていて、どこからか声が聞こえる。その曖昧な光景は、現実の凍てつくような寒さによって急速にかき消されていく。

マリは腰をさすりながら立ち上がり、震えながら辺りを見回す。すっかり夜になった公園。その中で、月明かりだけが、木の葉をすり抜けて地面に影を落とす。

いつもの市民公園だ。マリは一人でここに戻ってきた。スマホを取り出し、時間を確認する。もう21時になっていた。近くの茂みを見ると、脱ぎ捨てた上着がカナタのものと一緒に置いてあった。急いで拾い上げて身につける。

とりあえず、開けた場所に出る。もう誰もいなかった。ライトがぽつりぽつりと点いている。少し歩くと、見覚えのある階段を見つけた。惹かれるように、マリは階段を登る。そして、あのベンチに座った。

思えばすべてはここから始まった。あの日、退屈な日々に対抗しようとして、見事に打ち砕かれ、こんなつまらない場所で妥協したのだった。あれからいろいろあった。一言でまとめられないくらいたくさんのあり得ない出来事が起こったけど、考えてみるとそれはここ数ヶ月のうち数日の話で、密度で言えばそこまでではない。ほとんどは以前と変わらぬ退屈な日々の繰り返しだったのだ。

「はあ......」

マリは大きなため息をついた。リカを連れてこないといけない。いつまでに? トワたちは何分待ってくれるだろうか? いや、待つってなんだ? こっちでいくら時間を過ごしても、向こうの時間の進みには関係ないんだから......時間は無限にあるのでは? それともいいタイミングでここに戻ってくるか? いずれにせよ、のんびりしていても仕方がない。マリは緊張で震えてきた。家に押しかけて説得する? だがマリにそんな勇気はなかった。フードをかぶって縮こまり、立ち上がるかどうか悩んでいるうちに、いたずらに時が過ぎる。

マリは背もたれに深く寄りかかる。すると自然に、夜空に星が見えた。相変わらずまばゆく輝く星々に、自らの無力さが際立つように感じられた。

その時、すぐそばから小さく声がした。「ああ、来ちゃった」

「......うえッ!?」それに気づいたマリは反射的に叫ぶ。

それに反応し、向こうも驚く。「お、お前......!? なんでここに......」
そう答えたのは、メガネをかけた、賢そうで少し背の低い女の子。間違いない、リカだ。彼女の目はどこか後ろめたそうなのがマリにも分かった。

「もう避けられないってことなのか......」リカは小さくつぶやいた。

マリは自らの使命を思い出し、裏返った声で言った。
「と、取り合えず、座ろう?」
「あ? ......まあいいが......」


「あ、あのさ......! ど、どのコンビニが好き? 私はね......〇〇ミマかな......」
「どんな話題だ」
雑談の仕方がわからず、ついわけのわからないことを言ってしまうマリ。

「じゃ、じゃあ......空がきれいだね」
余りにも気が利いていない会話に、マリは心底自分のコミュニケーション能力の低さを呪う。
だがリカは優しく答えた。「それはそうだ」

沈黙。マリがまともに話せない中で、手持ち無沙汰にリカが星空の解説を始めた。
「ほら、あれがおおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオン、そしてオリオン座のベテルギウス。合わせて冬の大三角。これは有名だろ? けど、冬のダイヤモンドってのもあるんだ。大三角の、ベテルギウスの代わりにリゲルを入れて、そしてふたご座のポルックス、ぎょしゃ座のカペラ、おうし座のアルデバラン、この6つでダイヤモンドの形」
リカは流暢に語った。その話し方はとても知的で、自分とは全然違う、とマリは思った。

「冬の大三角の内側には、いっかくじゅう座ってのもあるんだ」
リカは空を指さしながら言った。マリには全く何も見えなかったが。
「まあ、この辺じゃ空が明るすぎるしな」

マリは問う。「......見えなくても、ちゃんとそこにいるの?」
「いるさ。もし太陽がなければ、昼間には夏の星が見えるはず。皆既日食の時なんかは実際そういうことが起きるしな」

「......じゃあ、空は案外にぎやかなんだね」
マリが言うと、リカは意外な答えを返す。
「そうとも限らない。ほら、ふたご座のカストルとポルックス。寄り添っているように見えるけど、実は何光年も離れている」

「なんかそれって、人間関係みたい」
マリは変なことを言ってしまったと思った。
「そうだな、表面と実態は違ったりする」
「でも、空を見てる間は、そういうことも忘れられる......でしょ?」
マリ自身はそうでもないが、リカはそうだろうと思った。
「はは、そうかもしれない。広大な宇宙の中では、私たちなんてちっぽけな存在だからな」

しかしリカはすぐに、少し沈んだ表情で言った。
「みんなそう言うんだ。でも空を見終わって、ベンチを立ち上がった2秒後には、明日の学校のこととか、仕事のこと、会いたくない人のことを思い出すんだ。それが人間だ」

マリは何も返せなかった。

「この広い宇宙で起きてきたことと比べると、人間って、小さくて、勝手だ。勝手な人が、勝手なことを言う。何も考えてないヤツもいれば、偏った考えのヤツもいる。非科学的で、非論理的なことを本気で信じる人とかさ。私はそういう人が嫌いだ」
リカは空を見るのをやめ、足元に視線を落としていた。

「......だから、来なかったの? 今日」
マリは、ようやく核心に迫ることを言った。
「嫌......ってこと? この、時空を......旅する、冒険が」
マリは緊張しながら返答を待つ。

「......嫌じゃ、ない」
リカは、小さく答えた。「嫌じゃないのが、嫌なんだ」
矛盾しているような答えに、マリは戸惑う。
「......むしろ、全然、素直に......楽しいって、思う。思ってしまっている」
楽しんでいた、と聞いてマリはあまり驚かなかった。リカがなんだかんだ言って、この状況を楽しんでいたのは明らかだったから。

「......じゃ、じゃあ、何で来なかったの」マリはもう一押しする。ここで、マリは今日届いたリカからのメッセージを思い出した。
「お父さんがダメって言ったの......本当なの?」
リカは答えた。「......半分本当で、半分嘘でもある」
「どういうこと?」マリは尋ねる。
リカは一度ため息をついてから、口を開く。
「......中学の頃さ」
そうして、リカは過去を語り始めた。

「あの頃はこの辺に越してきたばかりだった。そこで、何かあんまりよくない感じのグループに絡まれてさ。ほら、流れみたいなものがあるだろ?」
マリはクラスの「陽」な感じの女子たちから急に話しかけられたときのことを思い出した。
「いじめられてたとかでは全然ないんだけど。仲良くなりたかったんだか、からかわれてたんだか、今となってはわからないけどさ」

「それで、ある日放課後に会うことになったんだよね。しばらく適当についていってたんだけど、コンビニの前に来たら急に一人が『度胸試しだ』とか言い始めて」
「そしたら別の一人がコンビニに入っていって、しばらくすると小さいチョコを持って出てきた。それでまた次の一人が入って、今度は飲み物を持って出てきた。ここらへんで何かがおかしいって気づいたんだ」
リカは苦い表情を浮かべる。

「『次はあんたの番だ』とか言われたんで、ゆっくり店の前に向かったんだけど、そこで店の人が出てきて、『こっち来なさい』って」
「それから店の奥の方にみんなで連れていかれて、そこからはかなり動揺してて、あんまり覚えてないんだけど、家に帰った後、お父さんから、それはもうひどく怒られた」
「『そんな子に育てた覚えはない』とか結構言われて。それで、『付き合う友達は考えた方がいい。自分で判断できないなら、関わらない方がいい』って」

「そんなことが......」
マリは何といえばいいのかわからなかった。

「それからどうすればいいかわからなくて、あんまり人と話さなくなった。その代わり、科学に熱中した。科学はよかった。科学が追い求める真理は、人の世界のちょっとしたいざこざなんか気にもしないくらいの美しさがあったから」
リカはそう言って空を見る。「とにかくそれでずっと過ごしてきた」

リカは再び視線を落として言った。
「ところが数ヶ月前、お前らと会ってすべてが変わった」
「科学では絶対にありえないことが目の前で何度も起きた。そのたびに、今まで心のよりどころにしていた科学が間違っていたんじゃないかと疑った」「その中で思ったんだ。自分は科学の美しさに魅かれたんじゃなく......お父さんに許されたかっただけかもしれないって」

「お父さんに......」とマリ。
「お父さんは、私に科学に興味を持ってほしそうにしていた。その期待に応えようとしたのかもしれない」
「それは......」
「でも、同時に、お前らとの冒険を......楽しいと思ってしまう自分もいた。それは科学的好奇心からだった。でもそれは科学を否定することでもあり、お父さんを否定することでもある」

「それでいろいろ整理がつかなくなって、今日は行かなかった。半分本当っていうのは、昔お父さんに変な人と関わるなって言われたから。もう半分は......いや、まあ、そういうこと」
リカは、少し言いよどみながら、最後は吐き捨てるように言った。

「......でも! ......お父さんは、私たちのことサポートしてくれるって言ってたよ」
それは、事実だ。
「わかってるよ。別にお父さんはお前らを悪く思ってはいないって」
リカは続ける。
「でもさ、そうじゃないんだ。そうじゃない。もうわかんないんだ。今もここに来るつもりはなかったのに」リカは、震えた声で頭を抱える。
「きっとこれは、私の中の力だ。でもそれは、本物の、外にある力より強いんだ」

「......じゃあさ、逆らっちゃえばいいんじゃない?」
マリはそう言った自分に驚いた。それはまさにマリ自身が苦手とすることだったからだ。

マリは小学生のころからそうだった。周りは当然のように子供たちだけで買い物に行っているけど、「生活のきまり」には、それはいけないことと書いてある。だから行かない。次第に友達もいなくなった。中学に入れば、髪は絶対に肩につかないように、スカートは膝より下に。名札を忘れた日は、トイレでひとり泣いた。今だって、遅刻こそしてしまうけど、校則を破らないように必死に努力してる。寄り道も、買い食いも、したことがない。

そんなマリが、逆らうことを勧める。

「逆らうって......どうやればいいんだよ」
リカはうつむきながら言う。
「......怖いんだよ。怒られるのが怖いんじゃない。逆らうこと自体が怖いんだ。......情けないな、こんなことで。誰も理解できないだろうな」
彼女は、悲痛な目を下に落とす。

「逆らうなんて、考えたこともない。髪が少しでも肩についたらすぐに切る。スカートは膝丈より上にしたこともない」

「え......」
マリは驚いた。それって......私と同じじゃないか!

「寄り道もしたことない。もちろん、買い食いも」
まるで心が読めるかのように、リカはマリが考えたのと同じことを口にした。
「ほら、あいつが......トワが飢えてて、お前がサラダチキン買ってきたとき、あっただろ? 私あの時、お金持ってないって言ったけど、あれ嘘だったんだ。買い食いみたいなことしたくなくて、行けないフリしただけ」
マリはあの時のことを思い出し、納得した。確かにあの時のリカの様子はおかしかった。

「くだらないことだってわかってるんだけどさ。......わかんないだろ? お前には」
リカは不安そうな声でマリを見ながら問う。

「わかるよ」
マリははっきりと答えた。

「わかる。私があの日ここに来たのは、寄り道できない自分を変えたかったからなんだ。それでも、本当はもっと違うところに行くはずだったのに、ここで妥協したんだ。それくらい難しいことなんだよ。くだらなくないよ」
そしてマリは続ける。
「でも、私たちはもう、宇宙まで行っちゃったんだから。立派すぎると思うよ」
マリは眉を寄せながらもほほえみを浮かべた。

リカは目を見開いてマリを見た。「そうか」

「......私はダメだな。お前は自分を変えようとしているのに、私は」
リカはなおも落ち込んでいる様子だった。
「え......」マリは、元気づけようとしたのに、と思った。「いや、えっと......その......」言葉に詰まるマリ。
「......いいよ。大丈夫。大丈夫だから」自嘲気味に、リカは笑う。
「でも......あのさ」

「今までの自分を否定する必要なんて、ないよ」

マリがそう言ったとき、リカの顔は若干晴れたように見えた。

「......そっか。ありがとな。そうだよな」
彼女は、少し間を置いて言った。
「......まずは認めるところから。そこから始まるんだよな」

マリはそのとき、すべてがつながった気がした。

リカはふと言った。「......すごいな、お前」
「え?」その意味が分からず、聞き返すマリ。
「......いや、なんというか......」
リカはしばらく言葉を選んでから、言った。

「ありがとう、マリ」

リカは、笑っていた。マリは初めてしっかりリカと目を合わせた。彼女の笑ったところを、マリは初めて見たような気がした。これは本当に現実なのだろうか。人の笑顔を見て思うことじゃないかもしれないが、マリはさっきまでの自分が本当に自分なのかという気分になった。

その時、目の前が急に白く光り出した。マリは思わず腕で目を覆う。光が収まったとき、目の前には2人の少女がいた。
「うわ~、寒っ!!」
それは、カナタとトワだった。

「お前ら......!?」驚くリカ。
「......そ、そっちはどう......」マリは尋ねる。
「ダメです。全然近づけませんでした」トワは残念そうに言った後、聞き返す。「そっちは、どうでしたか......?」
マリはリカの方を一目見てから、答えた。
「ばっちり、だと思う」
「どういう意味だよ」とリカ。

カナタが時間を確認する。「うげっ、もう10時じゃん。お母さんに怒られちゃうよ」
トワも不安そうな表情を浮かべている。
しかし、マリはつぶやく。「......いいんだよ、今からで」そして笑った。
リカはそれを聞いて言った。「まあ、私がここに来たのは、『天体観測をするため』だしな。お父さんにも、そう言ってある」
リカの口調はどこかわざとらしく、それでいてどこか楽しそうだった。

カナタは意地悪に笑って、言った。「ホントは、一緒に来たかったんでしょ?」
「......うるさい」

「嘘、つくことになっちゃうね」とカナタ。
「ああ、私、悪い子だな」リカは、涙声で返す。
「そうこなくっちゃ」カナタは、にっと笑った。

「トワっち、力はどう?」
「往復分と、少し飛び回るくらいならあります」
トワがそう答えると、リカはポケットから何かを取り出した。それは、例の装置だった。
カナタが指さす。「それって......」
「秘密兵器さ」リカは答えた。

「それじゃあ、行きますよ」
トワが祈るようなしぐさをする。風が吹き、彼女の体は発光する。

やがて視覚と聴覚は奪われ、裏返るような感覚が生まれる。

すべてが、収縮する。

(続く)