永遠のゆく先へ #11「アルト」
修了式が終わった。つまり、高校生活最初の一年が終わったということだ。
ロッカーも掲示物も片付けられて、教室はすっかり生活感がなくなった。ホームルームが終わっても、皆名残惜しそうに話している。「もう会えなくなるね~」なんて、抱き合っている女子たち。
マリはそれを見ながら、うんざりしたようにため息をついた。すると、その一人がちらとマリの方を見た。マリは慌てて目を逸らした。一瞬の出来事だったが、その目がやけに記憶に残りそうな気がして、なんとか振り払おうとした。
ここに残っていても意味がないと、マリは教室を出た。なんの未練もなかった。窓から見える校庭ではサッカー部が活発に練習をしている。結局一年間ずっと帰宅部だった。今から入ろうなどという気もさらさらなかった。
ひとつ朗報だったのは、「入らなくていい理由」ができたことだった。
「よ」
向こうからリカが歩いてきた。マリは無言で頷いた。
「......今日で1年生も終わりだな」
「......うん」
とぎれとぎれの会話。気まずくないと言ったら嘘になる。だが、いつからか、マリとリカは一緒に帰るようになっていた。待ち合わせているわけでも、示し合わせたわけでもないが、ちょうどこの廊下で出くわすのだ。
いつの間にかリカがいつもの科学談義を初めていた。
「......それでさ、その望遠鏡で、初期宇宙の様子がわかるかもしれないんだよ。すごいだろ?」
「へえ」
リカはそれなりに熱く語っているのだが、マリはうわの空といった感じだ。
音楽室の前を通りかかった。合唱部の歌が聞こえてくる。マリが目をぎゅっと瞑る。
「どうした?」とリカ。
「......え? いや、何でも」とマリ。
「......ま、私たちだったら、宇宙の始まりだって直接見にいけちゃうかもしれないけどなー」
リカは腕を組みながら言った。もはや時空の旅をすっかり受け入れているようだ。
「しかもそれが今日かもしれないわけだしな」
リカが言うように、今日はその日なのだ。
「まあ、今までのペースだと、金星あたりが関の山かもしれんが」
トワのペンダントから映し出された映像は、白い雪原のように見えた。
「これは......何?」カナタが首をかしげる。
「もう少し離れましょうか」とトワ。「そんなことできたんだ」とカナタ。
「こんな感じでしょうか」映像は引きになり、不毛な大地が広がる星のようなものが映し出された。さっきまで見えていた場所は、非常に巨大な白いハートマークの一部だったのがわかる。
「冥王星だ!」リカが叫んだ。「一気にだいぶ飛んだな......」
「冥王星って、惑星......じゃないやつだっけ?」とカナタ。
「準惑星な。もともと惑星だったんだけど、2006年に再分類されたんだ。上の世代の人は『水金地火木土天海冥』って覚えてたみたいだな」
「準惑星って、降格ってこと? なんか可哀そうだね」
「もともと惑星かどうか怪しかったところ、他にも似たような星がたくさん見つかったんで、そっちのグループにした方が合理的って判断だな」
「じゃ、人間の都合ってことなんだ。何かが変わったってわけじゃなくて」
「じゃ、行きましょう!」トワが元気よくペンダントを掲げる。
まだ寒く、トワの力で発生した風が足を冷やす。風景は光に塗られ、やがて見えなくなる。
全てが、収縮する。
気が付くとマリたちは、見渡す限り何もない氷の大地の上で寝転がっていた。
「うう......流石に寒いね」震えるカナタ。
「バリアの中は暖かいはずですけど......限界がありますね」とトワ。
「そりゃ、元・太陽から一番遠い惑星だからな」とリカ。
「それで、エレメントはどこにあるんだろう?」カナタが辺りを見回す。
すると、トワが言った。「何か......聞こえませんか?」
「いや、何も聞こえないが......」とリカ。
「もしかして......アレつけたらどう?」そう言ってカナタがリカに手のひらを見せる。頂戴のポーズだ。
「ああ、これね......」リカは、エクステンダーを取り出す。「なんで私が管理してんだ?」とぼやきつつ、リカは自分の耳に装着する。カナタ、そして、親機をトワが装着する。3つしかないので、マリはつけられなかった。
「あっ、ホントだ! 聞こえる!」カナタは叫ぶ。
「なんか......歌声みたいな感じだな。どういうことなんだろう?」とリカ。
「もしかして、エレメントの力ですかね。エレメントの周りでは、不思議なことが起こりますから」トワが言った。
「きれいな響きだね。誰かが歌ってるのかな?」とカナタ。
カナタはエクステンダーを外し、マリに手渡す。
「マリりんも聞いてみな」
言われるがままにマリはそれを耳につけた。すると、本当だ。人間の女性の歌声のように美しい旋律が聞こえてくる。それはまるで、調和のとれた合唱団のソプラノのように......。
「マリりん、どうしたの?」
マリは呆然として、頭を抱えていた。
「......いや、何でもない。大丈夫」
そう言いながらマリはエクステンダーを突き返すようにカナタに渡す。
「体調がすぐれなければまた今度にしますよ」とトワ。
「......そういうのじゃない、大丈夫だから」とマリ。
3人は少し訝し気にマリを見た。
そのとき唐突に、トワが叫んだ。「痛っ!?」
全員で振り返ると、少し遠くで、見覚えのある黒いスーツの3人組が宙に浮かんでいた。彼らが放った何かがトワに命中したのだ。
「お前ら......」カナタが敵意をむき出しにする。「地球人」たちの世界をめちゃくちゃにし、エレメントやトワまでも奪い取ろうとしてきた奴らだ。
3人組のリーダー、前回ワンと呼ばれていた一人が、腕をしなやかに振るい、地面から氷を吸い寄せて、塊を作り始める。そしてそれはみるみるうちに赤くなっていき、火の玉が出来上がる。
「まずい......」カナタは警戒するような姿勢を取った。ワンは大きく振りかぶって火の玉を......地面に勢いよく投げつけた。爆発的な音がして、巨大なクレーターができた。
「何をしてるの?」とカナタ。「穴を掘ろうとしてるのか?」とリカ。
しかし、そのクレーターは、目を疑うほどの勢いで氷で埋め尽くされ、瞬く間に修復された。ワンの舌打ちの音が聞こえると、3人組はこちらに近づいてきた。
「今度こそ来るよ」
カナタとリカはエクステンダーをつけたまま、トワとマリを守るように立った。
〈回収は困難と判断。しかし、SH-0に遭遇。回収を試みます〉
ワンのその声とともに、相手の2人、ツーとスリーが手を振る。するとカナタとリカの片足が動かなくなった。
「またか......ッ」何とかして足を動かそうとするカナタ。しかし、リカはそれをものともせず、少し浮き上がった。
「相手もエレメントの力なら、こちらもエレメントの力で対抗できるはずだ。体ごと浮き上がってしまえばどうということはない」
前回の経験が生きているようだ。
「すごっ、......でもそれどうやってやるの」とカナタ。
「分からん......慣れて!」そう言いながらリカは相手を念力で押し返す。
「あたしも負けてらんないね......うわああっ!!」カナタは飛ぼうと試みて、いろいろな方向に飛ばされる。しかし、すぐにコツをつかんだようで、安定して浮き上がれるようになった。
カナタは「この中じゃ運動はできるほうだと思うし」と得意げだ。
しかしもちろん、相手の方が練度は高かった。そうしている間にも、ワンが空中に無数の火の玉を用意していたのだ。ダブルスの空中押し相撲を相手は切り上げて、火の玉を飛ばしてくる。リカとカナタは何とか避ける。リカに当たりそうになったが、トワが力を使って軌道を逸らした。
そんな攻防が続き、すべての火の玉が消費された後、ワンは力を溜め始めた。
「......来る......!」
そしてワンは一気に解き放った。すさまじい衝撃が周囲に広がる。それは味方であるはずのツーやスリーをも弾き飛ばすほどだ。リカとカナタ、そしてトワは押し出されたが、力を使って持ちこたえた。しかし、何の力もないマリは勢いよく飛ばされてしまった。
「マリさん!!」トワが飛んで行って、マリが落下する前に衝撃を和らげた。
そこに目をつけ、ワンがトワの体を一気に引っ張る。「わっ!!」
「させるかよ!」そんなトワを、リカとカナタ2人で支える。
マリは、それを遠目で見ていた。
そしてふと思った。
なぜ私は守られているのだろう?
なぜ皆が力を振り絞って戦っているのに、なぜ何の力もない私がここにいるのだろう。
マリはゆっくりと立ち上がった。そして、ただ目の前で起こっている攻防を眺めた。呆然と、ひとりで。
気が付くと、後ろに気配を感じた。危機を感じて振り返ると、そこにいたのはスリーだった。
ささやき声が聞こえた。
〈君だけ仲間外れだね〉
次の瞬間、マリは宙に持ち上げられた。そして、首を絞め上げられる。
呼吸ができない。苦しい。
「助け......て......」
足をばたつかせて、思わず助けを願った。
〈助けは、来ないよ〉
しばらくすると、視界が暗くなってきて、意識は遠のいていく。
ピアノの音が軽快に響く音楽室。
「みなさんに歌ってもらうのはこんな曲です」曲を弾き終えた妙齢の音楽教師が、生徒たちに告げた。
「では、パート分けをしましょう。小学校の時は、高い方がソプラノ、低い方がアルトだったと思います。中学校では女子はそれで、男子はさらにテノールとバスに分かれます。とりあえず、自分はこれだっていうところに手を上げてみてくださいね」
「ソプラノやりたい人」
先生がそう言うと、半数以上の女子が手を上げた。
ふざけて手を上げた男子が、「あんた違うでしょ」と注意されていた。
マリはというと、手を上げていた。いつもつるんでいるグループの女子が皆手を上げていたからだ。
「ちょっと多いので、声出るか確かめてみましょう。段々上げていくので、出なくなった人から座ってください。座った人はアルトにしましょう」
そして、「ドレミレド」のメロディが始まった。少しずつ上がっていく中で、何人かは脱落していった。
マリは、何とか歌っていたが、正直かなりきつかった。でも、グループの女子は皆まだ立っている。
「はい、ちょうど半分くらいですね。じゃあ今立っている人がソプラノです」
グループの友達も、マリも、最後まで立っていた。だがマリは、最後の方は声を小さくしてごまかしている状態だった。
授業が終わった後、友達のグループで話していた。
「うちソプラノになったよ!」
「わたしも!」
「うちもだよ! マリは?」
マリは答えた。「......うん、私も!」
「じゃあ皆ソプラノだね!」
合唱コンクール本番が、あれよあれよと近づいてくる。そのうちに練習も本格化し、学級委員の語りも熱を帯びてくる。
マリは、なんだかんだで歌うことは好きだったので、真面目に歌っていた。しかし、練習の後は必ず咳をして、喉ががらがらになった。
「ねえマリ、大丈夫なの?」
隣で歌っていた友達も心配していた。
「大丈夫大丈夫」
強がりだった。
そしてその日は訪れた。その日の音楽の授業では、パートごとの練習をしている合間に、音楽の先生が一人一人の歌を指導していた。ここ最近の練習でマリはまともに歌えないほどになっていた。マリの番が来て、先生の前で歌うと、声が何度も裏返った。遠くで練習しているはずの他の生徒から、たまに小さく笑い声が聞こえた。
「もしかして、無理してる?」
先生が尋ねた。マリはぎくっとした。
「無理するくらいなら、自然に出せる音域で歌った方が、音楽としては良いと思うんだよね」
マリにはそれが何を意味するのかが分かった。
「アルトに変更しましょうか。今からならまだ間に合うと思うから」
そう言われたときは、マリはなんでだか血の気が引いた。お前は集団の調和を乱すノイズだと。主旋律に値しないモブキャラだと。そんなことを言われているような気分になった。
「無理して歌うのは良くないからね、特に成長期は」
そんな気遣いも、もうマリには聞こえていないも同然だった。
マリはその授業のうちに、アルトで練習している集団に加わった。ソプラノで一緒に歌っていた友達は、今やずいぶん遠くに見えた。耳馴染みのない旋律は、頭にもうまく入ってこない。何人も隣にいるのに、マリはひとりだった。
その日のホームルームが終わった後、ぼうっと座っていたら、マリはグループの一人に声をかけられた。
「明日さ、一緒に遊ばない?」
それはなんということもない誘いだった。みんな帰宅部か土日休みの部活だったから、定期的に土曜日に遊んでいたのだ。いつもなら「うん」と言うだけだった。だが今回はどうだろう。
「......ちょっと、家の都合で」
嘘だった。実際には何も予定はない。
「おばあちゃん家に行くんだ」
それ以上聞いてこないだろうに、余計な詳細まで詰めてしまった。
「ああ、茨城の? そうなんだ。じゃあまた今度ね」
失望したような彼女の背丈は、やけに大きく見えた。
下手な言い訳をしたせいで、次の日、私は家でずっと過ごさなければならなかった。それ自体は問題なかったが、昼になると、食べるものがないことに気づいた。コンビニに買いにいかなくちゃ。お金は後で母がくれるが、マリはコンビニが苦手だった。レジの人と話したくなかったのだ。最近はセルフレジも増えてきたが、うちの近くではまだ導入されていない。
でもその日はそんなことよりも、道中で彼女たちと遭遇しないかどうかの方がよほど心配だった。
そして、その心配は当たってしまった。
買い物を終えて家に帰る途中、甲高く騒がしい声が聞こえていた。この時点で気づくべきだったが、ちゃんと買い物できたという事実を反芻するのに夢中で、周りが見えていなかった。曲がり角で彼女たちの姿が見えた時、マリは、考えるよりも先に、塀の角に隠れた。やってしまった。
マリはちゃんと隠れているつもりだったが、そのうちの一人がこちらを見た。昨日マリをさそった子だ。彼女は、訝し気な表情を浮かべた。しかし、すぐに視線を外し、何もなかったかのようにグループについていった。
心臓がバクバクいっていた。少し落ち着くと、良くないことが起こってしまったのだと確信した。あの子が自分を見る目が、いつまでも脳裏に残った。なぜ私は隠れた? それは、遠くに行くと嘘をついたのがバレるからだ。ではなぜ私は嘘をついた? そして、なぜスルーされた?
私を見るあの目は? 本当は違うのだろうとはわかっていたけれど――馬鹿にされているように感じた。
その日から、マリは、グループと距離を置くようになった。自分が嘘をついたことについて、彼女たちがどう思っているのか知りたくなかった。グループにはなるべく近づかないようにして、遊ぶ約束も、一緒に帰ることさえ、理由をつけて断った。
思えば、もとから私は場違いだった。他の子はみんな明るくて社交的で、かわいい。でも私は根暗だ。きっとあの子たちもそれに気づいていたんだな。だからこそ、あの子たちはソプラノ。私はアルト。当然のことだ。
そして迎えた合唱コンクール本番の日。マリのクラスは大躍進して、なんと優勝することができた。大ホールの中でそれが発表されたとき、クラスメートは皆近くの仲間と喜びを分かち合った。
ふとマリは、ソプラノ側で固まっている生徒たちを見た。いつもの3人が、互いにハイタッチなどをしながら、笑顔を浮かべていた。
その瞳に、マリは映っていなかった。
(続く)
