永遠のゆく先へ #13「神隠し」
「……トワっちが……消えちゃった!!!」
カナタはそう叫んだ。マリの体に揺さぶるように手をかけながら。その目には隈ができていた。
「お……落ち着いて。まずは何があったのか」
マリが問うと、カナタは少し目を背けてから、言った。
「……あの後さ」
「あの?」
「ほら、この前のさ」
「この前のって……」
「あの、氷の星の」
冥王星への冒険。それはマリにとって忘れがたい出来事だった。マリの抱いていたトラウマ。「降格」され、無視されることへの恐怖。正確には、無視されたと思い込むことの恐怖。マリはあの出来事をよく思い出す……もちろん、悪い意味ではない。
しかしどうやら、カナタはそうではないらしい。
「あれからトワっちの様子がおかしくなったんだ」
カナタは全てを話し始めた。
「あの後トワっち、咳とか鼻水とかしてて、あたしは、風邪じゃないの?って言ったんだ。でもその何日か後、明らかにおかしいことが起きたんだ」
「あたしがトワっちと一緒に昼ご飯を食べた後。トワっちは部屋に戻って、私は皿洗いをしてたんだ。洗い終わって、漫画でも借りようかと思ってトワっちの部屋に行ったら、返事がなくて。ドアを開けたら、トワっちはどこにもいなかった。仕方ないからリビングに戻ったら、トワが逆側のドアから出てきたんだ。聞いたら、トイレに行ってたって言うんだ」
「……それの何がおかしいの」
「おかしいんだよ! 逆側のドアから出てくるなんて、ありえないんだ! だって、そうしたら私が皿洗いしてるときに気づくはずだから」
「……皿洗いに夢中で気づかなかったんじゃ」
「それに……もっとあり得ないことは……あたしの家、そっち側にはトイレはないんだ」
「……もしかしたら、外でひっかけてきたのかも……」
「マリりん、そんな冗談を……」
「……」
変な空気になった。
「……とにかく、それだけじゃない。そもそもトワっちは用がないときはあんまし外に出ないんだ。だけど最近はいつの間にか外出してて外から帰ってくることが多くて」
「前メッセージ送ったけど、虹色の蝶とか、空を泳ぐ魚とか、変なものが見えるとか言いはじめて」
「決定的だったのは、一緒にゲームしてたときだよ。トワっちがお腹を押さえて急に苦しみだして。食べ物にでも当たったのかなと思ったら、トワっちの身体が……だんだん薄くなって……」
「そんなことが何回もあって、気づいたら完全にいなくなってたんだ」
カナタはうなだれてベンチに座り込む。
「あたし……どうしたらいいのかな」
いつも明るいカナタがここまで落ち込んでいるのは見たことがなかった。
「……はは、だめだね。保育士になりたいとか言って、家族も守れないのに」
そうか。カナタにとってもうトワは家族同然なんだ。
「……一つ確かなことがある」マリは言った。「こういうときは、みんなで何とかしよう」マリは、カナタにそっと手を差し伸べる。
「……うん、そうだね」
「うーむ、それは……わからんな」
リビングのこたつを目の前にして、リカが首をひねる。マリとカナタはリカの家に来ていた。
「なにせあいつは物理法則を嘲笑うがごとき存在だからな。科学的に理解する余地なんか無さそうに見える」
「やっぱだめかぁ」カナタは目に見えて落胆した。
「けど……全く手がかりがないわけじゃない」
「え、ほんと!?」カナタは目を輝かせながら身を乗り出した。どうも気分屋らしい。
「私たちが集めてる、エレメントとかいうよくわからないのがあるだろ? あれがあいつの能力、あの黒スーツ軍団の目的、そしてこの異常事態のすべての元凶だとしたら?」
「どういうこと? わかるように説明して」
「あのエレメントとかいうやつ、どうも消えたり逃げたりする性質があるみたいだったよな?」
「そう言えばあの時も……」マリは、大岩にくっついていたエレメントのことを思い出した。トワがむりやり引き剥がそうとしたら天高く飛んでいって、地球を周回し始めたんだった。
「何が言いたいの」カナタは問う。
「つまりだ。それはエレメント自体の性質かもしれないってことだ。トワは今、エレメントと同じ物理法則に従って動いている」
「……そ、そうなの? だとしたらどういうことなの?」
「これ以上は何とも。これも一つの仮説にすぎないからな」リカはそう付け加えた。
「そう言えば……」カナタは何かを思い出した。
「あの黒スーツ3人組、トワっちに何か変な光線みたいなのを打ち込んでた」
「光線?」
「うん。あの時トワは痛がってただけだったけど」
「あのさ」マリが言った。「冥王星で私が気絶してる間、みんなが戦ってる最中、あの3人組はトワを置いて逃げたんだよね。あの人たちの目的はトワの誘拐でしょ」
リカはハッとした顔で言った。「……そうか! もし、あの時点ですでに目的が達成されていた、あるいは、『プランB』が完了していたとしたら……」
「……分が悪いと判断して、いったん逃げた……」
そう考えると、すべての辻褄が合う。
「じゃあ、あの光線が『プランB』ってこと?」
「わからない。だが、その可能性は十分にある。その光線のせいであいつは今どこかに消えてしまった。3人組の目的はよく分からんが、捕まえられないくらいなら消しちゃえということなのか……?」
トワがいなくなった原因はなんとなく見えてきた。だが、問題はどうすればいいかだ。
「それじゃ、トワっちはもう……」カナタが冷や汗をかきながら問う。
「そうと決まったわけじゃない。まだ見つける方法はあるかもしれない。そうだ……覚えてるか? あいつはエレメントを見つける度、エレメントを見つける能力が上がっていた。つまり、エレメントを見つける能力もまたエレメントの力なんだ」
「つまり、見つけるしかない。エレメントを。私たち自身の力で」
互いに顔を見合わせる。
「待ってよ。エレメントがなきゃエレメントを見つけられないんでしょ? じゃああたしたちはどうやってエレメントを見つけるの」
「わからない。こりゃ『鶏と卵』だな。だが、やってみるしか……」
「やってみるって、どうやって? そもそもエレメントを見つけたとしてもただの地球人の私がその力を使えるの?」
「それは……わからないって言ってるだろ。そもそもエレメントの本質について私たちは何も知らないんだ。だからエレメントについて確実に言えることなんて……」
「ああもう! エレメントエレメントって……そもそも誰が作ったの!? どこから来たの!? 誰が名前つけたの!?」
「……確かに、元素のelementと被ってるし、変なネーミングではあるが……」
紛糾しているところで、マリが口を開く。
「とりあえず、身近なところを探してみようよ。案外すぐに見つかるかもしれないよ」
リカは言った。「……まあ、私も探したメガネを自分でかけてたなんてよくあるしな」
それから3人は、「まず思い当たる場所」として、例の市民公園にやってきた。
「ここになかったら……ないよねぇ」とカナタ。なぜかレジ袋を持っている。
「店員みたいなこと言ってんじゃねえよ」とリカ。
「でも実際、ここしか考えられないよ」とマリ。
トワはここで三日三晩過ごしていた時期がある。その間にうっかりこの辺に落としていてもおかしくはない……のでは?
「問題はどうやって探すかだか……」リカは首を捻って考える。
「そう言えば、いいもの持ってきたんだよ」
カナタが袋から取り出したのは、折れ曲がった針金2本だった。
「お前まさか……」
リカの懸念通り、カナタは両手にそれらを平行に持って歩き始める。「ダウジングだよ。知らない?」
「そんなもんで見つかるかよ!!」
3人は公園のいつもの場所をくまなく探し回った。しかし、手がかりすら見つからない。
するとリカが何かをポケットから取り出した。
「例の装置だ。そう、エクステンダー。こいつもエレメント絡みの異常なデバイスだ。何かに使えるかもしれん」
「そっか! この機械はトワっちとつながってるから……これを着ければ……」
カナタが閃くが、リカは首を横に振る。
「いや、親機もこっちにあるからそれは無理だ。それよりも、エレメントの残渣みたいなのが残ってて、他のエレメントを探すのに使えることに期待しよう」
リカは子機の一つを耳に着け、親機を右手で持って金属探知機のように周りの地面に当てながら動かしていく。
「なんか……滑稽だね」とカナタ。
リカも否定しない。「まぁ……針金2本の方が幾分マシかもしれない」
「アナログ回帰だね、アナログ回帰」カナタは誇らしげに言った。いつもの調子を取り戻した……のか?
「それを私に言うのか」リカは怪訝な顔をした。
リカはカナタとマリを順に見て、マリに2つ目の子機を手渡した。
「ほら」
「……ありがとう」マリはそれを耳に着けた。
それで3人は、公園全体やその周辺の道など、ありとあらゆる場所を調べた。しかしやはり、何も手がかりはなかった。
そして夜になってしまった。
「……結局見つからなかったな………おい」
リカがカナタに話しかけるが、カナタはうわの空。
「…………あっ、……そ、そだね〜」カナタはお気楽な感じで言ったが、声は異様に小さい。
「お前、大丈夫か?」
「大丈夫大丈夫! ちょっと寝不足なだけ」
「……とりあえず、今日はここまでだな」
リカが締めると、マリが言う。「……そうだ。各自の家を調べてみようよ。そしたら何かあるかもしれないよ」
「いや、さすがに家にはないんじゃ……」とカナタ。
「お前の家が一番怪しいだろ。あいつお前の家に住んでんだろ」
「……でも……」リカの指摘に、カナタは食い下がろうとする。なぜ? ちょっと調べてみればいいだけなのに。マリはそう思った。
マリは相変わらず荒れ果てた自分の部屋に戻ってきた。教科書や服やら段ボールが乱雑に転がっている。親から押しつけられたアウトドアグッズなどもぐちゃぐちゃに置いてある。ここをひっくり返すのは重労働だろう。
プリントをかき分け、スキーゴーグルを投げ飛ばし、見つけたのは写真だった。灰にまみれた家族写真。マリは大きく咳をしてから、それを拾い上げた。珍しく、父が写っている。父はマリに寄り添っているが、小学生だったマリの顔はどこかぎこちない。そうだ。この日は久々に父が帰ってきて、遊園地に行ったんだ。でも、本当は家で遊びたかったんだっけ。
そう言えば、トワは父親を探していた。それほどまでに好きだったんだろうか。父がいるという感覚自体、マリにはあまりなかった。単身赴任でほとんど会えないまま、この世を去ってしまったから。だから、失ったというよりはただ、どうやらいないらしい、という感じだった。正確には行方不明だけど。
いや、なんで今そんなことを考える必要があるんだ。今はエレメント探しに集中しないと。でも無関係とも思えない。カナタは今、大切な人を失っているんだ。その気持ちが私にも分かるはず……そう思ったが、正直、そこまでには思えない自分もいた。
3人は公園のベンチに集まった。
「で、結局……誰も見つけられなかったと」
リカがそう言うと、みんな黙ってしまった。「なぁ……こんな事考えたくはないが……あいつ嘘ついてたんじゃないのか? 最初から、ずっと」
「それは……」とマリ。
「今更エレメントの存在を疑うわけじゃない。もちろん、あくまで可能性の話だ。だが、まだあいつの言葉のすべてを信じたわけでもない。たとえば、エレメントを集めるために私たちを利用してたとしたら? それで用済みになったから逃げた」
「違う」
ベンチでうなだれていたカナタは、声を震わせながら言った。「あの子はそんなこと、しない」
「考えてみれば、あいつは記憶を失っている割にはエレメントについて妙に詳しかった。でも肝心なところで知らない、わからないだ。それにあいつは宇宙人だって自称してたな。あいつのどこが宇宙人なんだ? 能力こそ異常だが、どこからどう見ても地球の人間じゃないか」
「だって……あの子は私の……」
突っ伏したままリカの方を向き、反論しかけたところで、カナタはその奥を見て、驚いたように動きを止める。
「は……トワ……っち」
「おいどうした?」リカが問いかける。
「今……そこに……」カナタが指差しながら呟く。その先には、ただ草があるだけだった。
「おい? 何だ? お前までおかしくなっちゃったのか?」
リカは大きくため息をつき、背を向ける。
「……とにかく、あいつがいない以上、残念だがもうこんなことを続ける意味がない」
カナタはリカを無言で睨みつける。
「……可能性の話をしたまでだ。私も残念なんだ。わかってくれよ」
彼女は気づいたときから檻に閉じ込められていた。
いつからなのかは知らない。ここはどこかも分からない。自分が誰なのかも、わからない。
ただ冷たい床の上で寝そべるしかなかった。
薬品と肉が焼ける匂いが立ち込める。
ふと隣を見ると、誰かが立っている。顔は光に覆われて見えない。
「ああ、気がついたのか」
「あなたは……?」
「お父さんだよ、君の」
「お父さん……?」
父を名乗ったその人は、彼女の手を取り、両手で固く握りしめてこう言った。
「いいか、よく聞くんだ。君は特別だ。こんなところにいるべきじゃない。ここから出て、自由になるんだ」
「どういうこと?」
「まだわからないかもしれないが、いずれ思い出す。そのエレメントの力を使えば……」
彼女は、自分の首に虹色のペンダントがぶら下がっていることに気づいた。
「エレメント……って何? このペンダントは」
「……今から君は……時空を……」
その声はとても不鮮明だった。
「……過去も未来も……地球や宇宙を……旅して……」
その時、檻の外から人が歩いてきた。
「……約束だ。エレメントを集めて、必ずここに戻ってきてくれ。そして一緒に、家に帰ろう」
檻の外の人が、言った。「実験の時間だ」
……。
……朦朧とした意識の中で、彼女は目を覚ます。
「……今のは何……? 記憶? ……それとも妄想?」
そう思っているうちに、その光景はみるみる消えていく。
「何も……考えられない」
すべてが、水みたいに薄い。
彼女はふと、下を「見た」。自分の身体がない。いや、ある? 違う、ない。それすらもはっきりしない。それを観ることのできる目すら、ない? 何もかもが曖昧だ。
自分の身体の更に下には、どこかの校庭を笑いながら走っている幼い少女がいた。あれは自分? そう思うと、少女は消えた。次に目を開けると、自分はニュースキャスターだった。目をこすると、また消えた。いや。実のところ消えてなどいないのだ。すべては同時に存在している。消えたように見えたとしたら、それは見えなくなっただけなのだ。
そしてもう一つ重要なこと……彼女は以前、これを体験したことがあった。彼女は、まとまらない思考で必死に記憶をたどった。そして解った。これは、いつもの時空の転移……その間の感覚とよく似ていた。ただ、大事なのはそれじゃない……最も重要なのは、彼女は「何億年も」、ずっとこうだった時期がある。そういう感覚があった。
そして、かろうじてまとまっていた思考は、再び薄れていく。再び、自分が何なのか分からなくなる。文字通り、自分が拡散していく。
その中で、最後に見えた光景。それは見慣れた市民公園の一角、森の中の開けた場所だった。
(続く)
