デジタルタトゥーを刻みつけ


デジタルタトゥーという言葉は日本では一般的であるが、実は海外ではほぼ使われないらしい。英語の場合、代わりに「digital footprint」(デジタル足跡)と呼ばれるのが一般的であるようだ。まあ、日本のようにタトゥーが禁忌である国でないと成立しない警句なのは確かである。

インターネットに一度流した情報は容易に消せないと言われている。むやみに消そうとすると逆に拡散される(ストライサンド効果)こともあるくらいだ。よって我々は自然に、「インターネットの情報は半永久的に残る」と思ってはいないだろうか。

一部の情報に関しては、それは確かに正しい。その一部とは、関心を持たれた情報である。ポジティブ、ネガティブにかかわらず、人から多くの関心を集める情報ほど保存され、拡散され、ネットの海に残り続ける。

ところが実は、そうでない情報……つまり誰からも関心を持たれない情報は、むしろ物凄いスピードで消滅していく。Yahoo!ブログやジオシティーズ、NAVERまとめ、ありとあらゆるサービスが消滅している(筆者より上の世代の人のほうが、この手の例には詳しいだろう)。その度にインターネットから大量の情報が失われた。アーカイブもされているが、それも基本的に関心を持たれたものに限られ、誰も読まなかった個人の日記のようなサイトは帰ってくることはない(そんなもの残しても、と言うべからず。情報はいつどんな形で役立つかわからない)。これらは企業のサービスであり、「経営判断」によって容易に情報は失われてしまうのだ。記録されてから消滅するまで、せいぜい数十年である。

経済的な問題だけではない。そもそもインターネットの情報は、「インターネット」である以前に「デジタル」なデータである。デジタルデータの保存媒体は古くは磁気テープやフロッピーディスク、今はHDD、SSD、SDカードなど。これらの媒体の寿命は3〜5年程度、フラッシュメモリならただ放置するだけでも5〜10年でデータが消えてしまう。一方、アナログ媒体はどうだろうか? 徳川家康が書いた書状はまだ残っているし、原始人による壁画は現代にもありありと残っている。つまり、デジタルはアナログより圧倒的に保存期間が短い。「デジタルは半永久」というのはあくまで人が移行作業しやすいという話にすぎず、メンテナンスを怠れば、あるいはメンテナンスする価値がないと判断されれば、たった数年で消滅するのだ。

つまり、デジタルタトゥーという言葉は、正確には「ソーシャルタトゥー」と呼ばれるべきなのだ。ソーシャルな輪の中に入らなかった情報は、たとえデジタルだろうが急速に朽ちてゆく。

どうせ消えてしまうというのなら、我々は、自らがデジタルタトゥーを刻みつけてしまうことをただ恐れるのではなく、むしろ計画的に彫っていく、そんな態度が必要なのではなかろうか。無警戒にいろいろ流せばいいというわけではないが、少なくとも、自信を持って発表する作品に関してはそれくらいの気持ちを持ってもいいだろう。先に挙げたdigital footprintという言葉にも、日本語のデジタルタトゥーとほぼ同義のpassiveなものと、より積極的に残していくactiveなものがあり、ネガティブな意味だけではないのだ。

この世界は、消えてほしい情報ほど残り、残ってほしい情報ほど消えるという、マーフィーの法則が支配する世界なのである。