リコンストメモリー

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千本槍みなも@ナタクラゲ

ドアを開けたとき、私は驚いた。

目の前にいたのが、惜しい人を亡くして悲しみに打ちひしがれる家族などではなく、散らかった部屋で一人画面を見ている若い男だったからだ。

「これは、一体どういうことですか?」

問いかけても、反応はない。すると後ろから声がした。

「あの子……知らない人とは話したがらないんです」

その声は年老いた女性のものだった。先ほど玄関で私を出迎えたのも彼女だった。状況から見て、まず間違いなくクライアントの母親だろう。しかし、その口ぶりは、まるで幼稚園児の息子のことを語るかのようだった。

「で、パソコンの修理はどれくらいかかるんでしょうか?」

その一言に、またも驚く。私は、パソコンの修理に来たのではない。これは、クライアントが母親に嘘をついていることを意味する。

「ああ、まあ、30分もかからないかと」

私はそう言って誤魔化し、母親には一度退室してもらった。

「……こんにちは。リコンストメモリーの萩原です」

「……はい」低く、か細い声が聞こえた。

「筐体の方を、持ってまいりました」

そう言った瞬間、クライアントの頭が動いた。

持ってきた段ボールにカッターを入れ、ゆっくりと開ける。ふとクライアントを見ると、目が釘付けになっているのが暗い中でも見えた。箱が開くと、中から体育座りの人間のようなものが現れる。セーラー服を着た、若い女子高生のように見えた。

私はその首筋に手をやって、そこにある小さな赤いボタンを押す。すると女性はぎこちない動作でゆっくりと立ち上がる。そして、流暢な英語で「Powered By ReconstMemory」と一言発してから、周囲を見回す。

「久しぶり! 詩織だよ。最近どう?」

女性型アンドロイドの明るい声が、雑然とした部屋に響く。

「あ……あ……」

クライアントは、涙ながらに彼女に近づいていく。この仕事をやっているとよく見る光景だ。しかし、明らかに今回は異様だった。そのことに私は今日初めて気づいた。


オフィスの中で、私は頭を抱えていた。ここ3カ月取り組んでいた案件が、とんでもない代物だった可能性がある。

私の会社は、主にAI・ロボット技術で故人を再現し、遺族の心のケアなどを行っている。このようなことには賛否両論あるかもしれないが、趣旨を理解してそれを必要としてくれる人のみにサービスを提供している。

だが、今回のクライアントはどうだろう。引きこもりの青年で、経済的には親に依存している。再現した人間は彼より少し年の低い女性。学習データとして提供されたのは、卒業アルバムや部室などを写した写真。おそらくかつての高校の同級生で、同じ放送部だったことは察せられるが、データを見る限りあまり親密な関係になったという証拠がない。彼女の死因などについてもデータが提供されていない。本当に彼女は死んでいるのだろうか?

仮に、彼女は死んでおらず、より正確にはその生死にかかわらず、クライアントは彼女に何らかの未練を抱えていて、AIで彼女を再現して2人だけの世界を築くことが目的だったのだとしたら……?

これは十分にありえることだ。我々のAIは故人を再現するという都合上、相手に寄り添ったり感動させたりするという面を重視して学習される。だから相手を誰かを諌めたり咎めたりするようなことはあまり言わないのだ。この性質が、クライアントの依存を深めてしまう可能性があるとしたら……。

明らかに想定されていなかった使い方だ。しかしそういえば、必ずしも再現元が死んでいなければいけないという規約ではなかった。つまりもしこれが当たっていたとしても、今回の案件は会社的に何ら問題のあるものではないのだ。

だとしても、どこか引っかかる。願わくばそんなことではないと思いたかった。


AIロボットは定期的なメンテナンスが必要だった。その関係で、数カ月に1回はクライアントの家を訪れる。私はそれで再び彼の家を訪れた。また母親が応対した。こんなに頻繁にパソコンの修理に来たら変かもしれないと思ったが、その辺疎いようで、あまり怪しまれなかった。

私が彼の部屋をノックしたとき、返ってきたのは若い女性の声だった。

「誰ですか?」ロボットの声は、うんざりしたようなトーンだった。

「メンテナンスです」私はそう言ってドアを開ける。

部屋は前見たときとは見違えるほど綺麗に整理されていて、床にはゴミ一つない。

クライアントはベッドの縁に座っていた。彼女はすぐにその隣に向かい、クライアントの手を握る。クライアントの顔は、この間と比べて見違えるほど明るい。

「メンテナンスって、どれくらいかかるんですか?」彼女は言った。

「早ければ30分くらいです。問題があれば少し長引くかもしれません」私は言った。

次の言葉に私は衝撃を受けた。

「あの、まーくんはそんなに長い間私がいなかったら、耐えられないと思います」

それは、私の今までの予想を裏付けるものだった。そして、それは何かとても良くないことではないかという気分に襲われた。

「そ、そうですか。なら5分程度で終わらせますので」

私はちょっと動揺して、この部屋そのものまでもが異様な雰囲気にまみれている気がして、すぐにでも帰りたかった。結局私は関節の動きを軽くチェックするだけで帰ることにした。

部屋を出るとき、2人がベッドに倒れ込むのが見えた。


本当にこんなことでいいのだろうか? 恐らく彼女が掃除したのであろう、部屋は綺麗になっていて、クライアントの顔も明るくなっていた。なるほど想定とは違うが我々の製品が1人の人間を幸せにしたのだともいえよう。

しかし、本当か? 私の目にはそれは、2人だけの世界に閉じこもって、共依存に陥っているように見えた。それはクライアントの将来にとって有害なことなのではないか? もしかすると、私が1人の青年の未来を潰してしまったのかもしれない。

そう考えると、何か策を練らないといけないような気がした。いや、一介のエンジニアにすぎない私がそんなことをする義理もなければ、ともすると会社の規定を超えてしまうかもしれない。だが、エンジニア以前に人間として、何とかしなければいけないという気が湧いてきたのだ。もともと、人が立ち直る支援をするのが私の仕事だし、そういう思いでずっとやってきたのだ。

まず私は、何が起きているのかを確かめるため、クライアントから提供された学習データを精査した。卒業アルバム、SNSのログ、手作りの部誌、どれもそこまで親密ではなくても手に入るものだ。質のいいデータはほとんどない。だからそもそも再現がうまくいってない可能性も高いのだ。しかし、その限られた情報の中にも気になる点はあった。

手作りの部誌。文化祭に合わせて特別に作られたもののようだった。見ると、「彼女にしたい人ランキング」「彼氏にしたい人ランキング」という、いかにも高校生らしいのが載っていた。前者の1位が、AIロボットで再現したあの女性だった。後者では、クライアントは圏外だった。

そういえば、再現元の名前では調べたことがあったが、ほかの部員の名前で調べてはいなかった。検索してみると、ほとんどヒットしなかったが、唯一後者のランキングの1位であった「富崎祐介」なる人物だけはヒットした。都内でキッチンカーを経営しているようだ。それ以上の情報は出てこなかったが。

そこで実地調査だ。私はそのキッチンカーに向かうことにした。調べると役所の近くに出ているようだった。私はそこに赴く。ホットドッグなどの軽食を提供しているようで、私もホットドッグを買いに行く体で様子を見に行った。

「いらっしゃいませ」

店員はネットに顔写真が出ていた富崎祐介。そしてもう1人女性が調理を担当していた。

それが、再現元の女性だった。

なぜこんなところにいるんだ? もしかして……。私は商品を待つ間、富崎に質問した。

「いつからやってらっしゃるんですか」

「ああ、数年前くらいですね」

「お若いですけど、なぜキッチンカーをやろうと思ったんですか」

「まあ、前からの夢だったんですよね。飲食店の経営が」

「へえ、そんなに若くして叶うなんていいですね」

「いやまあ、私の夢っていうよりは、そこにいる彼女の」富崎は調理を担当している女性の方を見る。

「彼女は?」

「私の妻です」


私はそれからその店に何回も通った。実際にはわざわざ40分ほど電車で移動して来ているのだが、この辺で仕事をしていると嘘をついて。クライアントが変わるためのヒントとか、過去に何があったのかを知ることができないかと考えたのだ。

富崎は気のいい人で、常連だからとサービスしてくれることもあった。それに対して妻の方もにこやかで、幸せそうな夫婦だった。若いのに、まるで老夫婦のようで。もちろんいい意味でだ。

その中で、彼女の情報も何となく得られてきた。お酒が好きとか、争いごとが嫌いとか、ジムに通っているとか、親が看護師だから医療のことにちょっと詳しいとかの事実を知った。クライアントのデータがいかに一面的で情報不足であるかがわかってきた。

ある日私がキッチンカーを訪れ、焼きそばパンを購入すると、彼女は何かの本を手渡してきた。

「良かったら、読んでください」

「これは何ですか?」

「最近出したエッセイです。小さい頃の話とか、好きなものの話とか。最初は仲間内で見せてただけだったんですけど、評判がいいので出すことにしたんです。自費出版ですけど」

「良いんですか?」

「萩原さんは常連ですしね」彼女はそう言って笑顔を見せた。


次にクライアントを訪ねたとき、私は彼の母親にこんな相談をした。

「あの、不躾かもしれませんが、息子さんはちょっとパソコンに少し依存しすぎているように見受けられます。もしよろしければ、専門のカウンセラーなどにご相談されてはいかがでしょうか……」

しかし、母親の返答はそっけないものだった。「大丈夫ですので」

仕方なくクライアントの部屋に行くと、前よりもさらに異様な光景を目にした。

部屋の真ん中で彼女が横たわり、クライアントがその上にまたがっている。そして何やら言っている。

「もう少し、君は頬を上げて笑うんだ。もっと、もっとだ。『えへへ』って感じじゃなくて、もう少し『ひひっ』って感じで」

彼は興奮ぎみだった。

「すみません」

「あっ……」彼は正気に戻り、立ち上がって彼女を起こす。私がメンテナンスのために彼女を回収しようとしたら、彼は言った。

「……あの、話があるんですけど」

「なんでしょう?」

「彼女をもっとリアルに、もっと生き生きともっと……情熱的にすることはできませんか」

それは機能リクエストだった。

「今では、やはりまだAIだという気持ちがどこかにあるんです。そうじゃなくて、人間と間違うような、そんな感じになりませんか」

私は答えた。「可能ですが、それには追加料金がかかります。それに、より多くのデータが必要になります。データはありますか?」

彼は言葉に詰まった。「それは……」

「前に頂いたのがすべてですか?」私が問うと、彼は首を縦に振った。

「……選択肢があります。私どものほうでデータ収集サービスを行っております。勿論合法的に入手できる範囲のことですが……追加料金も更にかかります。いかがなさいますか?」

「……お願いします」彼は弱々しく言った。


データか。キッチンカーに通って、図らずも集まった彼女の情報。彼女の価値観が詰まったエッセイまで手に入れてしまった。これを学習させたら……。だが、そんなことをしていいのか?

我々の場合、普段は対象者が故人であるため、勿論本人に了承を得ることはできない。生前に了承を得られていることは稀であるため、我々の会社では基本的に本人への了承は不要で、依頼者のみに了承を得ればいいことになっている。しかし今回のような場合、対象者が存命であり、かつ対象者が自分が再現されることを知らない。

とはいえだ。自分のあずかり知らぬところで、自分のデータを使って、自分の精緻な複製が作られて、それが自分に執着している人間に弄ばれているなどと知ったら……。しかし、我々は既にその一線を越えているのではないか。今更何をアップデートしようが同じかもしれない。でも……。悩ましい。

私は会社にデータ収集&アップデートの案件の報告をした。今回のクライアントの特殊性も伝えた。そして、それは承認された。つまり、会社としてこれは問題ないということだ。そういうものなのか。私は釈然としない感じを抱えたまま、彼女の人格データを追加学習した。これを次の訪問でインストールする。理想化されていない、本物の彼女の人格を目の当たりにすれば、もしかしたらクライアントも何か考え直すかもしれない、という一種の賭けを込めて。

インストールには、一度ボディごと回収しないといけない。私はクライアントの家を再び訪れ、彼の部屋をノックした。しかし反応がない。ドアノブをひねろうとするが、固くて回らない。誰かが抑えているような感触がした。

「すみません! 開けますよ!」

私が叫び、少し強引にドアノブを回して押すと、急に抵抗が弱まってドアが空き、ロボットが後ろに倒れた。

彼女は起きあがって私を見るなり言った。「ちょっと、何しに来たんですか!?」

「メンテナンスと、アップグレードです」

「アップグレード!? そんなもの必要ないですから、やめてください!」

彼女は必死に叫び、壁際に逃げた。クライアントはというと、苦い顔で一連のやりとりを見ているだけだった。

だが、私には方法がある。私は手元の端末のボタンを押した。すると彼女はたちまち跪き、一切動かなくなった。シャットダウンコマンドを送信したのだ。

私はUSBメモリを彼女の首元のインターフェースに差し込んだ。しばらくするとインストールは無事に完了し、電源を入れると彼女は再び立ち上がった。

「あれ、私は……」

彼女は少し困惑しているようだった。クライアントはすぐに寄ってきた。

「大丈夫だった? 僕のこと、わかる?」

「ああ、まーくん……」

変わらない口調でクライアントを呼んだ。だが、何だか今までより落ち着きがあるような気もする。

「久しぶりだね」

「前の」AIとしての記憶自体は消えたらしい。だがこれは想定内で、事前に説明もしている。

「ねえ、あの日のことは覚えてる? 部活のみんなで一緒にカラオケ行って、みんなでめちゃくちゃ叫んだの。それでも僕は97点取って。『前』は覚えてないって言ってたけど」

「ああ、……そんなこともあったね」彼女はぎこちなく答える。「でもさ、今考えるとあの頃はまだ子供だったよね。もう素面であんなことするなんて考えられないよ」

それを聞いたクライアントは、どこか拍子抜けしたような顔をしていた。

彼女は続けた。

「そうだ、ゆうくんとは会ってる?」

「ゆう……くん?」クライアントが硬直したような声で言う。「なんであいつ……?」

彼女は笑顔でこう言った。

「言ってなかったっけ? 私ゆうくんと結婚したの」

その瞬間、クライアントの顔から笑顔が消えた。

「一緒にキッチンカーやってて、すごく楽しいんだよ」

クライアントはしばらく黙った。そして震え始める。

「……嘘だ……嘘をついている。そんなわけがない。君は恋愛になんて興味ないはずなんだ。そうだろ?」

彼女は何も答えない。

「……そうだ、バグだ。データに何か間違いがあったんだ。だったら直してもらえばいい」

私は答える。「一度入れたデータを消すのは難しいので、再学習ということになりますが、その場合は追加料金ということになりますが……」

するとクライアントは壁をバンと強く叩いた。

「あいつのことは忘れるんだ。今すぐ」

クライアントは彼女を押し倒し、強く迫った。

「忘れるって、何を……」ロボットは困惑している。

「僕のものにならないなら、誰のものにもなるな。誰かのものになりたいなら、僕のものになれ」

クライアントは息を荒らげて彼女に顔を近づける。

「やめて……ください……気持ち悪い……です」

それを聞いたクライアントは、今度は力なくへたり込み、吐きそうなほどに咳き込んだ。

「なんで……こんなことに……」クライアントは泣き叫ぶ。

あまりの悲惨さに、私は提案せざるを得なかった。

「……前の状態に、ロールバックしていただくこともできます。こちらは料金はかかりませんが……」

彼はしばらく黙ってから、言った。「……お願いします」

しばらく、気まずい静寂が流れた。

すると、騒ぎを聞きつけたクライアントの母親が部屋に入ってくる。

「何事ですか!? ……これってどういう……?」

母親はヒステリックに目を吊り上げていた。

「この女は誰ですか!? 息子に何をしたんですか?」

私は狼狽えながら答えた。「いや……息子さんが……」

母親は続ける。「この子は大人しい子なんです! 今はちょっと安らぎが必要なだけで……。そもそもあんたたち、何なんですか!? セラピーなら結構です。あんたたちが余計なことをしなくても、私がこの子を立ち直らせられますから!」


あれから何度かメンテナンスに訪ねたが、家にも入れず門前払いされるようになった。仕方がないので会社に報告したら、メンテナンス業務は停止され、私も担当から外れることになった。そんなことも忘れて、半年くらいは別の案件に取り組んでいた。

しかしある日、再びその問題と向き合わざるを得なくなる。

私は急に上司に呼び出された。そして、今起きている厄介なことについて聞かされた。

どうやら、例のロボットに故障が発生し、クライアントがロボットを連れてわが社の修理工場に向かったらしい。それで、その近くに偶然出店していた富崎夫妻がそれを見かけ、怪しんでついて行ったところ一悶着あって、ロボットの緊急連絡機能で会社に一報入ったということらしい。

私は急いで工場近くの事業所に向かい、富崎夫妻とクライアント、そして私による4者での話し合いが行われることになった。

狭い静寂した会議室の中。

「山崎……。まさかまだ詩織に執着してるなんて」夫が口にした。「何年経ったと思ってるんだ? あの頃はまだ冗談で済まされたよ。けどさ、大人が既婚者に執着するのはマズイんじゃないの?」

妻は黙ったままだ。

「それだけじゃない。あんなAIまで作って。しかも作るのには、データが必要なんだろ? どうやって手に入れたんだ」

私は答えた。「卒業アルバム、SNS、部誌などを……」

「あんたもあんただよ。詩織のコピーを作るために俺たちに接近してきたってことだったのかよ。詩織のエッセイも、学習データに使ったってことか……。はぁ……人を信じるのも止めたほうがいいのかな」

そうため息をつく夫に対し、私は言った。

「そちらのデータに関しては……収集した時点では学習させる予定のなかったものでして……会社の許可を得て使用したのでありますが……」

我ながら苦しい言い訳に感じた。

「そんなの関係ありますか? 会社の許可があっても、詩織の許可はとってないでしょう!?」夫の口調にはいらだちが見えた。

「それに、彼がアップデートを拒否したので、今は使用しておりません」

「拒否って……?」聞き返す夫。

「それは……」私はちらと隣のクライアントを見る。何も言わない。「彼自身が望まなかったのです」

するとクライアントが口を開いた。「……だよ」

「は?」

クライアントは震え声で叫ぶ。「……お前が詩織を取っていったから……こんなことになったんだよ!」

「取っていったって……お前その前に1回フラレてただろ!?」

「もう1回……いつかもう1回言おうと思ってたんだ……いや……言えなくても……少なくとも誰のものでもなければ……自分のものだと思えたのに……」

クライアントが未練がましくそう言った。

「誰が何と言ったって詩織は俺の妻なんだよ。お前とは努力してきた量が違うんだよ。お前みたいにただありえない幸運を待ってるだけじゃなくて。距離を縮めるためには何でもした。お前はその間何をしてた!?」

クライアントが叫ぶ。「……全部やったよ! 僕にできることは! ……僕にできることは、それくらいしかなかった。ただ全部吐き出して、楽になることしか。気持ちをぶつけて、やきもきした感情を終わりにしたかっただけで」

クライアントの言葉は尻すぼみになっていく。

「随分と、都合が良いんだな」夫は吐き捨てるように言う。「そりゃ、最新のデータじゃ都合が悪いだろうな。だって今の詩織には俺という夫がいるんだから」

妻は気まずそうにうつむく。

夫は続ける。「……妄想の世界に浸って満足か? なら、相応の報いも受けてもらわないと困るな」

報い。それが何を意味するのかは正直はっきりしない。「私は弁護士ではないので何とも言えませんが……このようなケースは前例がないため、どのような法律が適用されるのかは未知数ではないかと」

夫は喝破する。「そんなことは分かってる! だけど、振られた相手をAIで再現して恋愛ごっこなんて……そんなことしていいはずがないだろ!?」

妻は俯く。

「ほら! 詩織も怖がってるだろ!? お前のせいでSNSも消す羽目になったんだ」

クライアントぼそっとつぶやく。「……自分が持ってるデータをどう使うかは自由だろ」

それを耳にした夫は立ち上がり、激しく憤った。

「おい、俺の妻を何だと思ってるんだ! ……もう二度と俺たちの前に現れるな。あのロボットは俺たちとお前の目の前でぶっ壊して、学習に使ったデータも全部目の前で燃やせ。二度と詩織のことを見れないようにだ。そして謝罪しろ。詩織と、その両親の前で、3回土下座して謝れ」

鼻息荒く要求を突きつける夫。

その目がキッと私の方にも向いた。「あんたもだ。この責任をどう取ってくれるんだ?」

静寂が流れる。

「あのさ」

この状況を変えたのが、再現された張本人である妻だった。

「あのさ……さっきから私のこと、モノか何かみたいに言ってるけど」

「そうだぞ山崎、お前は……」と妻。

すかさず妻が返す。「ゆうくんもだよ」

「え?」 困惑した表情の夫。

「ねえ、もうやめにしない? 確かに、怖かったよ。許せないと思った。でも、私たちは同じことを繰り返してるんだよ」

同じこと。

詩織はクライアントに告げる。「最初にあなたに告白されたとき……正直言って驚きはなかった。噂になってたし、こう言うと変だけど、明らかだったから。それからもずっと視線を感じることはあって、さすがにちょっと違和感を覚えてた。まさか今の今までとは思わなかったけどね」

「山崎くん」彼女は真剣な目でクライアントを見た。

「昔からずっと思ってた。あなたはもしかするとずっと誰かの思い通りに生きてきたのかもしれないって。でもそのやり方をあなた自身がやるのはだめ。私は、あなたが思っているような私じゃない。それだけは忘れないでほしい。そして、あなたが思っているようになることは決してない。それは誰もが同じ。完全に思った通りなんてありえない。相手がロボットでもなんでも」

そして、夫の方も見る。

「これでもう終わり。お互いに、もう会わない。もう考えない。たくさんのことは言わないから、ただそれだけ」

夫は不満そうだった。「でも……まだ謝罪もない。反省もない。野放しにしたら、また何をするかわからない」

妻は返す。「人は思い通りになんてならないよ」

夫が反論する。「だったら、なおさら強く言わないとわからないだろ?」

妻がまた返す。「それで、本当にわかったといえるのかな。ただ力で従わせたところで、何も変わらないような気がする。だから、自分自身で変わろうと思うことに期待するしかないんじゃないかな。それには時間がかかるかもしれないけどさ」

クライアントを見た。それはどんな罵倒や断罪よりも彼に深く突き刺さったようだった震えて、涙している。

「……申し訳……ありませんでした……」

その声が、会議室に響き渡る。


結局、会社の規定にも重大な問題があったということになり、再現元が故人であることを確認できない場合は契約が成立しないことになった。さらに実質的にこれが遡及的に適用されて、例のクライアントのロボットも回収されることになった。回収しに行ったときの彼の顔は悲しげながらも覚悟を決めているようだった。

クライアントはというと、その後私に「思い通りにならない世界にも目を向けたい」と言い残した。いろいろあったが、結果的にいい影響を残せたなら、悪くなかったのかもしれないという気もしていた。

AIの性格も、無条件で相手を肯定するのではなく、適宜自立を促すことで、遺族がAIに依存してしまうのを防ぐというものに変更された。

そして数年後。

なんと会社が破産してしまった。理由はまあ普通に売り上げが芳しくなかったから。スタートアップならそんなにおかしいことではなかった。社会が会社を受け入れなかったということももしかしたらあるのかもしれない。

そのため、失業手当で生活しながら次の就職先を探す羽目になった。こういうことがあったらもうスタートアップには懲りるのが普通かもしれないが、私はそうではなかった。そもそもこういう会社に入ったのは新しい技術が好きで、それが社会に浸透していくのに貢献したかったし、それ以外に興味はなかったからだ。

面白そうなスタートアップ企業を探していると、チラシの中に、ふと見覚えのある顔があった。

「『拒絶』から解放される世界へ。AURAは、ユーザの心を完全に理解し、あなただけの心のパートナーになります。AURAは、ユーザのどんな思いに答えてくれる。誰も傷つかない世界は、すぐそこに迫っているのです。――山崎正人」