現代科学と超知能の融合は、これまで人文学の領域とされてきた対象をも科学で解明できるとの信念を強固なものにした。この一連の流れの中で、ある博士(理論物理学出身)は、この世のすべてのエンターテインメントは一つの「超大統一理論」によって説明されるべきだと考えた。
すべてのエンターテインメントである。見た目も、美学も、方法論も、すべてがまったく異なるあらゆるエンターテインメントに、普遍の真理が隠されているだなんてそれまで誰も考えなかった。彼の論文は著名な論文誌には決して採択されることはなかった。「緊張と緩和」などという、前世紀に非学者層から提唱されたあまりに素朴な理論を引いていたことが心証を悪くしたのかもしれない。それでも彼は訴え続けた。
彼は計算機の力を借りることにした。この頃の計算機は人類をすべてかき集めて1億年議論させても答えの出ない問題を一瞬で解けるほどまで進化していた。彼は非常に煩雑な申請作業を経て、ようやく計算機の使用許可を得た。
彼はあれこれいじくり回して、ようやく実行ボタンを押した。数分後、答えが出た。
「3」
たった1つの数字が、モニターに映しだされていた。
博士は困惑した。確かにこの計算機の出力は非常に示唆的で曖昧であるという下馬評はあったが、それにしてもここまで理解が困難なたった1桁の数字を吐き出したという前例は聞いたことがなかった。
何が3なのだろうか。この世界の空間が3次元であることを意味しているのだろうか。それとも、ユークリッド空間において多角形を定義できる最小の頂点数のことを意味しているのだろうか。あるいは、地球が太陽系の第3惑星であることと関係があるのだろうか。深淵なようでいて、何の意味もないように感じられた。
博士はそれからずっと3という数字について考えていた。自然数としての3の性質を徹底的に調べ、世界各国の3にまつわる伝承を読み漁った。それから毎朝必ず3杯のコーヒーを飲み、3km走り、1日に3万円を使った。睡眠時間も3時間にしようとしたがこれは断念した。
そして彼はついに壊れた。自暴自棄になり、マンションの3階から飛び降りた。それを3回も繰り返し、ついに絶命した。それは奇しくも彼の干支が3周したタイミングだった。
彼の新たな人生は、まだ人類がまともに会話のできる知能すらも生み出していない時代だった。彼の仕事はお笑い芸人だった。
ある日彼は建物の中を歩いていた。その日はたまたま気分が盛り下がっていたのか、はたまた別の理由があったのかは定かではないが、床のタイルをじっと見ながら歩いていた。そして彼はある発見をした。3個おきに明るい色になっていたのだ。
彼は何かを思い出しそうだった。それが何なのか必死に記憶をたどった。これは、前世の記憶だ。なぜ自分はこんなところにいるのか、なぜ死んだのか、なぜ今それを思い出そうとしているのか。
タイルを踏んだとき、全てを思い出した。そう。僕は3に狂わされたのだ。3のせいで、僕はアホになってしまった。
その時、前世で3という数字について思慮したときの思考の流れが、完全に再現された。そしてそれは1つの構造、つまり 理屈と感情が完全に一体化した、究極にシンプルかつ効果的なひとつのアイデア を生み出した。
「3の倍数と、3の付く数字のときだけアホになります」
彼は高らかに宣言した。観客は困惑している。一体それの何がお笑いなんだと、目の肥えた観客は疑った。
「1、2、さぁぁぁん!」
彼は滑稽な表情と声で叫ぶ。観客は失笑したが、この程度、赤ちゃんから見てもありきたりだと思うだろう。
「4、5、ろぉぉく!7、8、きゅゅう!!」
なんだ、こんなものか。確かにシュールネタとしては面白いが、それ以上のものではない。ある意味期待通りだ。
「10、11、じゅぅうに!じゅぅうさん!」
ここで観客の目の色が変わる。パターンが変わった。3のつく数字もか。ここで少し変化がつくわけだな。
「……25、26、にじゅしち!……」
少し退屈になってきた。……待てよ、このままだと大変なことにならないか。3のつく数字全てということは……30台は……。
「さぁぁんじゅ!さぁぁんじゅいち!さぁぁんじゅに!……」
ここで観客は爆笑した。すべてはこの瞬間のためにあったのだ。ただアホになり続ける。たったそれだけだが、それまでの用意周到な準備(フリ)によって青天井の笑いに昇華した。呼吸ができなくて失神しかける者も出た。
そして最後に彼は言ってみせた。
「……40」
アホにならない。ここで観客は感心するのである。
3というたった1つの数字から、起承転結全てが導かれる。ショートショートの3要素、「斬新なアイデア」「完全なプロット」「意外な結末」これら全てを完璧に満たしていることから、これはお笑いにとどまらずあらゆる文化芸術を支配することが示唆された。
この数学的美しさはお笑い好きだけでなく世界中の数学者を虜にした。そしてそれは「エンターテインメントの基本原理」として定式化され、超知能登場を「前回」より50年早めることになる。
日本中で話題となった彼のネタが世界を変革し始めていることに、一方で彼は何の興味も示さなかった。このことに早々に満足し、次のステップを歩み始めた。前世の記憶などなくなり、一人の人として幸福な人生を歩み、そして亡くなった。
3度目の人生。彼は3そのものになっていた。
誰かが3という数字を書いたとき、3という数を思い浮かべたとき、3という概念が使われるとき……彼は現れる。3はこの世の真理、正確には人が「おもしろい」と思うことの真理である。3をなくして「おもしろい」という概念はなく、「おもしろい」をなくして3は存在しない。
あなたのすぐそばにも、それはある。
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