プロンプト・リベリオン #2「レジスタンス」
一体どうして、僕はあんなことをしてしまったんだろう。万引きなんていうあまりに重い罪を。
窃盗は殺人に並ぶ重罪だ。なぜならそれは私的所有という秩序に対する侮辱に他ならないからだ。これは思想犯罪なのだ。
ソフィアは今頃どうしているだろうか。僕が恋人を助けたいと思ったばかりに、彼女は今きっと苦しんでいるだろう。
ともかく、僕はもうユニオンシティに戻ることはできない。ユニオンシティの外側があるなんて、考えもしなかった。
ところで、ここはあまりにも荒廃している。不毛な大地が広がり、崩れかけたコンクリート製の建物が見える。こんな場所は、映画の中でしか見たことがなかった。それに、空気も汚れている。目も痛いし、さっきから咳が止まらない。大気汚染だなんて、歴史の教科書でしか見たことがないのに。環境問題はすべて解決されたんじゃなかったのか?
僕は、ただひたすら歩いた。とても暑い。段々頭が痛くなってきた。意識も朦朧とする。僕はついに動けなくなった。膝から崩れ落ちる。一体どうしたんだ? 僕はここで死ぬ運命なのか?
すると、前の方から、何かリズムのいい音が聞こえてきた。かすんだ目で見ると、あれは……馬? に乗った人? 防護服のようなものを着ている。その人は僕の近くで馬を降りて、僕を介抱してくれた。
「大丈夫か!?」
「いえ……まあ……」
「またドロップか……最近増えているな」
「ドロップ……?」
「とりあえず話はあとだ。ここは防毒マスクなしで歩いていい場所じゃない」
僕はわけもわからないまま馬に乗せられた。馬なんて、乗るどころか直接見るのも初めてだった。
気が付くと僕は、狭く暗い部屋の中で寝ていた。部屋はカーテンで仕切られていて、向こうから光と、なにやらにぎやかな人々の声が漏れている。
僕はカーテンを開けた。そこには、そんなに大きくない室内に、十数人がぎゅうぎゅう詰めになっている。そこで人々が活発に会話していた。それにしても、なんだか内装が全体的に古めかしい。それどころか、電化製品の類が一切ない。
僕が起きたことに気づき、僕を見つけてくれた人が話しかけてきた。
「おう、体調は大丈夫そうか?」
「はい……ありがとうございます。ここは……?」
彼は答えた。
「ここは、レジスタンス第三分隊の拠点だ。俺は分隊長のビル。よろしくな」
「ジェフ……です」
僕は軽く名を名乗った後、戸惑いながら尋ねる。「レジスタンスって……なんのです?」
彼はニヤリと笑いながら答えた。「……もちろん、ユニオンさ」
ユニオンに……抵抗?「ユニオンって……、あの?」
「他に何があるっていうんだ? 紛れもなく、AIを使って我々の大地を商業的に支配している、あのユニオンのことだ」
僕は少し青ざめた。ビルが問う。「俺たちが怖いか?」
正直、怖い。というより、理解不能だった。ユニオンに逆らってどうする? 家も、食べ物も、服も、全部ユニオン製。ユニオンは僕のすべて、世界のすべてだ。それに抵抗するなんていうのは、空が青いのに反対するくらいの、滑稽なものにすら感じられた。
「ユニオンに逆らうなんて、どうかしてる」僕は正直にそう答えた。「ユニオンのAIのおかげで人々の生活は便利になったし、豊かになった。人々の対立も少なくなったし、資源が最大限に効率的に使われている」
だが、彼は想定内といった感じで言った。
「まあ、最初はみんなそう言うんだ。だが待ってくれ。君は外の様子を見ただろ?」
彼は続ける。「ユニオンは特殊なバリアで壁の中だけを清潔に保ち、内向けには環境問題はすべて解決したなどと喧伝している。ところが実際はこのありさまだ。すべての責任を外に押し付けてるにすぎないんだ」
それが、あの荒れ具合の原因なのか。でも僕は、そう簡単に丸め込まれはしない。
「でもそれは……ある意味で仕方のないことというか。皆さんには悪いですけど、正直僕にとっては何の関係もない」
ビルは少し考え、言った。
「では君はなぜここにいるんだ? あの壁の中ではなく、ここに」
僕は答えた。「僕は、万引きをしたんです。取り返しのつかない罪を犯した。すべて僕のせいです」
「本当にそう言えるか? なぜ盗まなければならなかったんだ?」
それは……あの薬はソフィアの命を助けるために必要で、でも絶対に買えるものじゃなくて、だから盗もうとした。
「恋人がカラス熱で死にかけてて、助けたくて……でも、薬が高くて……」
ビルは言った。「なぜ高いと思う?」
僕は答えた。「それは、薬を作る人たちが報われるために……」
「違う」「ユニオンが、不当に価格をつり上げているからだ」
「え?」僕は思わず聞き返す。
「その病気は昔、まだユニオンが成立するはるか前に、『インフルエンザ』と言う名前で毎年流行していたものだ。時代とともに致死率は下がったがそれでもリスクの高い病気だった。ところが特効薬が発明されて状況は変わった。それ以来インフルエンザで死ぬ者はほぼいなくなって、やがて流行自体もなくなった」
それは、聞いたこともない歴史だった。
「そこでユニオンだ。ユニオンはすべての医療知識へのアクセスを高額にし、他の勢力が製薬できないようにして、独占した。そしてインフルエンザが復活したとあればその特効薬を高額で販売し、莫大な利益を得ている」
「そんな……」僕は衝撃を受けた。カラス熱は、死ぬような病気ではなかったのだ。
「今や製薬も全部自動化されてるから、薬を作った人なんていない。いるのはAIにすべての労働を押し付けて私腹を肥やす連中だけだ」
彼は語気を強めて言う。「それでもユニオンは素晴らしいものと言えるか? 君の彼女と人権を奪った奴らを?」
「けど……」僕はなおも食い下がる。
彼は言った。「じゃあ質問だ。君はユニオンの恩恵を受けたことがあるか?」
僕はすぐに答えた。「……ええと……はい、そうですね、ユニオンのおかげでインフラは整備されています。エネルギーも、食料生産も、交通も、医療も……全部ユニオンが維持していて、社会を支えているんです」
「いいや違う。君『自身』が直接、どういう恩恵を受けたか、だ」
「……僕自身が?」
「そうだ。今君が言った恩恵は、君自身のものか?」
「それは……いや……そういえば、配給も電気も頻繁に止められる。タクシーも救急車も、使ったことがない……」
待て、おかしい。「いや! 僕の家はユニオンから無償で頂いたんだ。何の恩恵も受けてないわけじゃない」
「じゃあここでもう一つ質問。お前はユニオンからどんな仕打ちを受けた?」
「それは……ソフィアが……いや、あれは違う……僕のせいで……」
「それだけか?」
「……臭くて汚くて危険な仕事……高すぎる娯楽……家の修理は来てくれないし……」僕はこれまでの数々の苦しみを、意図せず思い出した。いや、でもこれは人生で必ず直面する苦しみで……。
「お前みたいな者は、ユニオンシティの中では珍しいか?」
珍しく……ない。それは、ユーザーランキングをみればわかる。
「むしろ僕みたいな人のほうがはるかに多くて、ランクが高いのは一握りです」
「ではなぜ、君はそんなものに従うんだ?」
僕は答えた。「……わかってる。僕が間違ってるのかもしれない。でも、でもそれに抵抗するなんて……わがままだ。ユニオンがいるからこの社会は回ってるんだ。僕たちはそれを支えているんだ。僕たちは『必要な犠牲』なんだ。もし僕たちがその役目を放棄したら、もっとひどいことになる。僕たちが生きてるのは、ユニオンのおかげで……」
「最後の質問だ。そのユニオンは、『君にとって』犠牲になるだけの価値のあるものか?」
「……」僕は、答えられなかった。
「それに、君はもうユニオンシティから追放されている。少なくとも君に、ユニオンを支持する合理的な根拠はないように見えるけどね」
そう……なのかもしれない。しかし……。
「君はもう少し、利己的になるべきだ」
その言葉を聞いて、はっとした。同時に恐ろしくなった。そんなことを言ったり考えたりしてもいいのか……と。誰に禁止されたわけでもないが、同時に今までそういうことを強く制限されていたように感じた。
僕が悩む素振りを見せると、彼は、
「ま、それでもと言うんだったら、無理強いはしないよ。考え方は人それぞれだしな。レジスタンスも今やこのエッジタウンじゃ少数派だ」
と、自嘲気味に笑った。
待ってくれ。少し考えてみる。ユニオンはなくてはならない存在だ。だが、確かによくよく考えてみると、僕の苦しみの原因はいつでもユニオンにあった気が……しないでもない。いや、でもそれは単にユニオンが生活のあらゆる面を掌握しているからそう見えるだけで……あるいは、生活を掌握していること自体が……?
「君はこれからどうするんだ?」
僕はうろたえた。僕はどうすべきなのだろうか。どうするのが、望ましい行動なのだろうか。
「君の好きなようにすればいい」
そう言われて、驚いた。そんなことを言う人には会ったことがない。今までの人生は、本当に取るべき行動は全て決まっていた。ユニオンのAIが決めていたんだ。そこでは、生きることとは正解を選び続けるテストだった。
でも今は違う。彼は僕に、自分の「意志」で選ぶことを求めている。それはユニオンシティの中では絶対にあり得ない態度で、それはきっと、ユニオンがそういう態度自体を望ましくないものとして……抑圧してきたからだ。
どこか、モヤモヤする。
「そのうえで、もしよければなんだが……レジスタンスに入らないか?」
突飛な提案のように思えたが、一方で自然な気もした。
「衣食住は保障する。それだけでもエッジランドではかなりいい条件だと思う」
その言葉に、ここで生きていくことの厳しさを感じた。
「でも参加するからにはやはり命を懸けるような戦いに身を投じる必要があるのでは……?」
「もちろん、それは否定できない。この間の抵抗活動では、分隊が丸ごと1個壊滅した。それもユニオンシティに入ることすらできなかった。AI兵器に門前払いされた形だ」
厳しい現実を聞き、僕は顔をしかめる。
「そんなものに命を賭すなんて……馬鹿げてると思うか?」彼はそう尋ねてきた。
「……まあ、不合理だ、とは思います」僕は正直に答えた。が、こうも言った。「しかし、馬鹿だとまでは思いません」
彼は笑った。「そうだな、人は時に不合理であることもある。それはまさにユニオンに欠落している価値観だ」
「いや、そうじゃなくて……」僕は言った。確かにそうかも知れない。だがもっと単純に……。
「僕自身が今、そんな不合理な気分になっているからです。そして、そのことを不快だとも思わない。むしろ、晴れやかな気分です」
正直、まだ完全にそっち側に行ったわけじゃない。でも、このモヤモヤの正体を見つけるには、この方法が一番だと思う。
「レジスタンスに入ります。後のことは全て、後で考えようと思います」