永遠のゆく先へ #19「プリンズンブレイカーズ」
それは、明白では?
マリは、硬いマットレスの上で目が覚めた。
小さな流しやテーブル、プライバシーの欠如したトイレ。床と壁にはコンクリート、そして正面には、鉄格子。いつもと違うところで目覚めたから違和感があったが、他にも変なところがあるような?
「……ねーねー」どこからか、小さな声で何かが聞こえる。
声のする方へ近寄ってみると、鉄格子から手を出して小さく手招きするカナタがいた。隣の房にいるみたいだ。
「……どういうことなのこれ」声を殺しながら尋ねてくるカナタ。
「わかんない」マリはそう答えるしかなかった。だが、大体検討はつく。「ここって、どう考えても……」
「牢屋……か……」そう答えたのは、廊下を挟んで向かい側の房にいたリカだ。
「あたしたち、何か悪いことしちゃった?」とカナタ。「やっぱり……トワっちのプリン食べちゃったからかな」
「そんなこと言ってる場合かよ……」こんなときでも冗談を言うカナタに、呆れ気味で反応するリカ。
「そう言えば、あいつはどこ行ったんだ?」
「ねえトワっち、近くにいる〜?」
カナタが呼びかける。が、反応はない。
「プリン食べちゃったから怒ってるの〜?」
「そんなわけないだろ」
「……いないみたいだね」カナタは大きくため息をつく。
「あいつ、よくいなくなるなぁ」リカが怪訝そうな声で呟く。
「ちょっと、またトワっちを疑うわけ!? あの子が私たちを閉じ込めただなんて……」
「そんなことは言ってないだろ。……ただ、あいつがいないことと、私たちのこの状況とが関係あるとしたら……?」
リカの考えも聞かず、カナタが割り込む。
「何にせよ、ここから出ないことには始まらないよね。このままここにいたら、本当に罪でも犯した気分になるよ」
「出るって言っても、どうすればいいだろうか」
出入り口は昔ながらの鉄格子。塗装はわずかに剥げているが、ひどく劣化しているというほどではない。力ずくでぶち破るのは無理そうだ。
「ねぇ」マリが口を開く。「エクステンダーを使ってみたら?」
「なるほど、あいつまだ親機持ってるから……」ポケットをまさぐろうとしたリカは、何かに気づいて手を止めた。「あれ」
「な、なくしちゃった……? エクステンダー……」
マリは心配になる。せっかく自分のアイデアが採用されそうなのに。
「いいや、違う……」リカは言った。
「ポケットが無いんだ」
それを聞いたカナタはさも当然のように言った。
「あれ、気づかなかった? あたしたち、気づいたらこんなの着させられてたんだよ」彼女は口を尖らせる。「服は没収されたみたい。あの服お気に入りだったのに」
マリは自分の身なりを確認した。いつの間にか病院服のようなものを着ている。さっきからなんとなく違和感があったのは、これが原因だったのか。カナタちゃんみたいにファッションに興味がある人は違うなと、マリは納得した。そして、その点においてもマリとリカは同類なのだ。
しかし次に沸いてくる当然の疑問は、いつ、なぜ着替えさせられたのかということだ。眠っている間なら気味が悪い。
「メガネまで取られてる……」とリカ。
「あたしもコーラ瓶の蓋取られてる」
「なんでそんなもの持ち歩いてるんだ」
どうやら持ち物は全部取られているらしい。誰が、なぜ? そもそもなぜ自分たちは捕まっているのか? ここはどこなのか?
諸々の疑問をいったん飲み込んで、リカは言った。
「とりあえず、こんな調子じゃ脱獄なんてしようがない」
3人が途方に暮れていると、遠くからコツコツと足音のようなものが聞こえてきた。
「誰か来るよ」カナタが辺りを見回して警戒する。
そこに現れたのは、2人の人物。1人は白衣の女性で、黙ってメモをつけている。もう1人は、作業服のようなものを身に着けた、長身の男だった。不織布マスクを着用していて、人相も年齢も分からないが、ガタイは相当いい。
その人はカナタの房の前に立ち、冷徹な声で言った。
「検査の時間だ」
「検査……って……」カナタが鉄格子越しに、上目遣いで男を見る。
「黙ってついてくるんだ」
有無を言わさぬ物言いで、その人はカナタの房の鍵を開けた。ギィィと金属の軋む音が響き渡る。
「わぁ、やっと出れ……」言いかけたカナタを、男は制止する。「私語をするな」
カナタでさえも、そのオーラに圧倒されているように見える。
カナタはまた口を開く。「……検査って何を」
「黙れ。……言う意味はない」
男は、しぶとく食い下がるカナタをあしらいつつ、「ついてこい」と告げた。
「はいはい……」と後ろをついていくカナタ。挟むように、ただ黙ってメモをつける白衣の女性。
その姿を見ていたマリは、一瞬、全身がビクッと震えた。そして血の気が引いた。
なんだか無性に嫌な予感がする。まずい、このままじゃ……。
「あ……あの」
マリは恐る恐る呼びかける。
「何だ」
マリは、全身の震えをなんとか抑えつつ、声を絞り出した。
「検査……私からにしてもらえますか」
暗く、無機質な廊下を歩く。知らない大人に前後を挟まれながら。
震えが止まらない。私がああ言ったとき、みんな驚いていた。と思う。暗くてよく見えなかったけど。なぜあんなことを言ってしまったのか。
検査。いったいこれから何をされるのか。病院服のような着衣の裾に触れながら、延々と考え込んでいた。いや、実際のところ何も思いつかなかった。考えるのが怖かったのだ。
どれだけ歩いたかわからない。そのうちに、ある部屋の前にたどり着いた。
「ここだ」
扉が開くと、まず初めに、いろんな匂いが飛び込んできた。消毒液、焦げた肉、アンモニア、それから、酸っぱい、生臭い匂い……? さほど激烈ではないが、確かに感じられた。
その部屋の真ん中には、ぽつんと一つだけベッドがあった。歯医者のベッドみたいにもたれかかるタイプのやつだが、角度は固定されていて、リクライニングはできなそうだ。ベッドには、大がかりだがアナログな機械が取り付けられている。そう、拘束具だ。そのすぐそばには、前を歩いていた男と似た格好をした男が3人。
マリは真っ青になった。そしてまた後悔した。そもそもだ。私が名乗り上げたところで、根本的には何も解決していない。私が終わればどうせ2人の番が回ってくる。ただ、「終わる」のを自ら早めただけにすぎなかったのではないか。
「そこに寝ろ」
ベッドの目の前まで誘導されたマリ。しばらくその場で立ち尽くしていた。
「……早くしろ」
逆らえず、恐る恐る足を乗せる。ベッドに座り、頭をつける。
ここで初めて、白衣の女性が口を開く。「拘束しろ」
その声はマリにとって、4人の男の誰よりも低く冷徹に聞こえた。
そして、男のうちひとりが、マリの右腕をつかみ、無理やり引っ張って器具に近づけようとする。
「ひ……」もうダメなのか……。
ドガン! と、遠くで音がした。
「!? 何だ!?」騒然とする一同。
アナウンスが流れる。
〈ただいま第4チャンバー前の廊下で爆発を確認。平常業務を中断し、緊急時プロトコルに移行せよ〉
非常ベルがけたたましく鳴り響く。それとともに、男たちは皆廊下へと捌けていく。マリに拘束具をはめようとしていた1人を残して。その一人も呆然と出入り口の方を見ている。
涙目のマリは、呆然とするしかなかった。そこに、白衣の女性が近づいてくる。
ダメだ。ここで動けなかったら。私も皆も、このままじゃ……。何とかするには、今、ここで腹を据えるしかない。
マリはベッドから飛び降りた。そして走る。
男の隙を突くことには成功した。だが、白衣の女性が目の前に飛び込んできた。
「……貴様ッ」マリを押さえつけようとする女性。後ろからも男が走ってきている。
「どい……て……!!」
一瞬もみ合いになるが、何とか振り切った。
廊下に出る。左右を見ると、たくさんの人々が慌ただしく走り回っている。
マリは目の前の案内を見た。「被験者収容室→」と書かれていた。夢中でマリは右に走る。
が、マリは自分が方向音痴なのを忘れていた。闇雲に走り、いろんなところを曲がった結果、完全に道に迷ってしまったのだ。それでも、迷っていないかのようにマリは走り続ける。そうするしかなかったからだ。息も絶え絶え。
ある角を走ると、マリは前から大きな衝撃を食らって尻もちをついた。見ると、同じ作業服を来た男が座り込んでいた。
一瞬、目が合う。
マリは再び走り出そうとする。
「おい! 待て!」男は叫び、マリに飛びかかってきた。
「わっ!!」
マリは仰向けに、両腕を強い力で押さえつけられた。男の険しい顔がすぐ目の前にあった。必死に抵抗しても、びくともしない。怖い。でも……。
マリはとっさに、膝を使って男の腹を蹴り上げた。
「うっ……!」
一瞬力が弱まったところで、マリは男を横に突き飛ばす。男が悶えている間に、マリは立ち上がる。
マリはまたも血の気が引いたような感覚を覚えた。心臓が、経験したこともないくらいバクバクいっている。
「私……まだ生きてる」
すると、目の前の床に、鍵束が落ちていることに気づいた。男が落としたのか?
「おい……」
男の唸り声に、マリは我に返る。とっさに鍵束を拾い、また走り出した。
ここがどこだか分からない。でも走る。走り続けていれば、いつかは……。
そのとき目の前に、見たこともないくらい大きなエレベーターが現れた。扉が閉まっているのでわからないが、中はマリの自宅の部屋よりも広いかもしれない。
近くには、こんな案内があった。
「↑地上 出入り口」
マリはそれを見た途端、恐ろしい考えに支配された。
〈これで助かる……〉
今日は散々な目にあった。でも、よく考えたら、最近はやたら酷い目に遭うことが多い。恥をかくことなんて珍しいことじゃなかったが、最近増えているのは、文字通り命の危機だ。なんでこんなことになったのか?
それは、明白では?
マリは、鍵束を落とした。ガシャンという音が響く。力が抜けたのか、あるいは、自ら力を抜いたのか。
マリは、上矢印のボタンに手をかけようとする。
〈お前は、それでいいのかよ〉
いつだかのリカの声が、頭に響いてきた。
「よくない……」
マリは鍵束を再び拾い上げる。そして、来た道を引き返す。
「被験者収容室」の案内が見えた。マリは今度は迷わずに、そこに向かう。
ガシャンガシャンという音を響かせながら、マリは帰還する。
「あ!」とリカ。
「マリりん! 検査はどうしたの? ……なんか騒ぎになってるみたいだけど、大丈夫?」とカナタ。
「わかんない。急に皆慌てはじめて……でも、大丈夫」マリは答える。
「おい、それ……」リカは、マリが持っている鍵束を指差す。
「これで出られる……!?」高揚して叫ぶカナタ。
マリは、リカの房の扉を見た。青いスペードのマークがついている。一方、鍵束には20本以上の鍵が連なっていて、ひとつひとつにマークがある。マリは慌てつつも、何とか同じマークの鍵を見つけ出して、鍵を差し込む。ガチャリと音がする。
「本当に開いたな……」扉を押し開け、リカが出てくる。
「あたしも助けてー!」カナタが叫ぶ。
「鍵のマークは……」カナタの房を見て、リカが驚く。「は!? ……嘘だろ」
なんと、カナタの房にはマークがなかった。代わりに、糊がはがれたような跡がある。
「嘘……全部試さないといけないの?」マリはあわてて鍵をガシャガシャする。
「待て……この辺全部マークがあるんだろ? 何か規則性があるんじゃ」
リカは周囲の房を見て回った。赤いダイヤ、黄色いハート、白い三角、ピンクの虫眼鏡……。
「クソ、ランダムにしか見えない……」
その時、またコツコツと足音が聞こえてきた。
「来た……!」
マリは震える手でひとつひとつ鍵穴に差して確認しているが、もたついてほとんど試せていない。
「ア〜〜〜!!!!」リカは髪を掻きむしり、限界に達して叫んだ。
「貸してくれ!」リカは、マリから鍵束を無理矢理奪い取る。そして目を閉じて、適当な鍵を一つ選んだ。
「もう、これだろ!!」
鍵を差し込む。そして、それは開いた。
「助かった!」カナタは房から出る。
「でも人が来てる! とりあえず離れよう!」
リカが啖呵を切り、3人で足音とは逆方向に逃げ出した。
足音の主は、誰かと通話をしていたが、3人はそれを知る由もなかった。
「……脱走者……機動部隊を…………だと……出払って…………が……暴走を……!?」
(続く)
