インターネットをやっていると、あちこちで「効果」「現象」「法則」と呼ばれるものを見かける。
多くの人がなぜか間違ったことを信じているという「マンデラ効果」、誰にでも当てはまる占いなどを自分のことだと思ってしまう「バーナム効果」、顔ではないものが顔に見えてしまう「シミュラクラ現象」、間違ったことを言うと訂正した人が集まってきて、逆に正しいことを知れるという「カニンガムの法則」など。例を挙げればきりがない(最後のは個人的に一番好きな法則)。
さて、ここで疑問がある。これらの名前にはそれぞれ、「効果」「現象」「の法則」という、3つの接尾語がついている。そして、時に言い間違える。筆者も先ほど「シミュラクラ現象」を間違えて「シミュラクラ『効果』」と呼んでしまった。
果たして、これらは意図して使い分けられているのか? それとも、何となくそう呼ばれているだけなのだろうか?
あえて間違えた呼び方をしてみたい。例えば、「マンデラ効果」を「マンデラ現象」と呼んでも、あまり違和感がない。というか、こちらの方が自然な感じがする。一方で「自分で作ったものにより多くの価値を感じる」ことを意味する「イケア効果」などは、「イケア現象」と呼んでみると、どこか違和感がある。
ここでわかるのは、基本的に、「効果」というのは1人の人間の主観で起こることであり、「現象」はもっと客観的だったり、巨視的だったりするということである。そう考えるとバーナム効果やプラシーボ効果はそれっぽい。一方、先ほどのように「マンデラ効果」はかなり現象っぽいし、筆者が間違えたシミュラクラ現象なんかは、その意味ですごく効果っぽさがある。この辺は、ある程度のルールはありつつも、どうやら乱用されている、というのが結論らしい。
一方、「の法則」はどうだろうか。法則と言われるものを挙げてみると、「パーキンソンの法則」がある。これは簡単に言えば、供給があるだけ需要が増えるというもの。Wikipediaのたとえが秀逸だ。「どんなに大きな冷蔵庫を買っても、必ず満杯になる」。また、「大人になるほど時間が早く過ぎる」ことを「主観的な時間の長さは年齢に比例する」として説明した「ジャネーの法則」もある。
これらに共通したことは何かと言うと、難しいが、どうやら数値で表せたり、論理的にはっきりとした命題が法則と呼ばれるようだ。
ここまで書いておいてなんだが、このあたりの使い分けはかなり適当な感じがある。そもそもそれら以外がつくものも多い。「ストックホルム症候群」とか「認知的不協和」とか。時計が止まって見えるのは何て言うんだっけ?「クロノスタシス」? これに至っては何もついてないじゃないか。
そもそもこれらを一緒くたにして語るのは間違いなのかもしれない。あたかもネット教養かのように流布されているこれらだが、もともとは心理学や社会学といったバックボーンがあって、慎重に(時には批判的に)研究されているということを忘れてはならない。現象や効果というのはあくまで解釈であって、実際にそこにあるのは人の心だったり、複雑な自然なのである。