インターネットでしか怒ったことがない


インターネットに触れる前、私は怒りという感情を抱いたことがなかったと思う。理不尽に自分に不利益が及んでも、悲しいとか辛いとかは感じても、ムカつくとか思ったことはなかった。

でも、インターネットを始めて、掲示板やSNSなどの書き込みに自分の考えと違うものがあるとイラつくようになった。明らかに初めての感情だった。今でさえ、インターネットではよく怒りを覚えるけども、リアルの世界では怒った記憶がないし、怒りの感情を覚えた記憶すらない。

なぜなんだろう。まず思いつくのは、単に、怒る必要のあることを経験しなかった、つまり運がよかった、という可能性。今軽く思い返しても、嫌な思い出は多かれど、怒るべきだった時など思いつかない。だが、客観的に見たら怒るべき時はあったのかもしれず、なんとも言えない。

あるいは、何よりも怒られるのが嫌だということに起因するのか。小学生の時分、私の行動原理は「怒られたくない」だけだった。自分が絶対にされたくないことを人にしようとは思わない。あえて怒られたい人はそんなに多くないと思うが、私の場合はその思いが頭のほとんどを占めていた。それが強すぎたのか、他が弱すぎたのかはわからない。

ここで、怒りが何のためにあるのかを考えてみる。怒りは、現状を変えるための強いエネルギーである。私は多分、現実世界で自分の周りに対して、自分の力で何か変化を起こせるという可能性を、みじんも信じていないのだ。

逆にネットの世界なら自分がなんとかできるという気になってしまう。多分、実際は逆だ。広大なネットの世界は自分ではどうしようもないことばかりだが、リアルの自分の周りはいくらでも変えられるはずなのだ。そう頭では分かっている。でも、この染み付いた感覚は取れない。

ここまでに共通するのは、私は意志が弱すぎるということだ。やりたいことも理想もない。あったとしても実現できると思わない。だから何かに向かっていくこともできない。自分を社会の中に位置づけて、継続的に関わっていくということができない。

最近はもうこのままどうにか生き延びてやる方法を模索してすらいる。人間に意志はいらない。意志なんてない方が、最終的に幸せだ。そうに決まっているのだ。ロボットが全部どうにかしてくれて、全身に繋がれたチューブから栄養をとる。五感をエミュレートしたメタバースに脳内を接続して、自分の感覚を代行してくれるAIによって不快な情報が自動的にシャットアウトされた世界で、寿命がなくなるまで生き続ける。そんな世界を実現するため、私は死ぬまで闘い続ける。