インターネットの発達により、誰もが発信できるようになった。その際に多くの人が利用しているのがフリー素材であろう。しかし、ちょっと待ってほしい。あなたはそのフリーという言葉の意味について、深く考えたことはあるだろうか。
フリー(Free)というのは多義性のある言葉だ。まず第一に、無料であることを意味する。これはわかりやすい。もう一つ、自由であることも意味する。
この2つの違いを気にせずに使っている人は多いだろう。しかし、この2つは本来、まったく別のことなのである。無料だからといって自由とは限らない。逆は成り立つかもしれない。自由であるものには、無料のものも少なくない。しかし、無料であるものが全て自由とは限らない。むしろ、自由なものはごく少数に限られる。
この違いを指摘したのがフリーソフトウェア運動を主導したリチャード・ストールマンである。彼は、フリーソフトウェアにおけるフリーとは、無料という意味ではなく、自由という意味であると主張した。これらのコミュニティでは前者を"free as in free beer"(無料のビールのフリー)と呼び、後者を"free as in free speech"(言論の自由のフリー)として区別している。
これらのフリーソフトウェアという言葉は近年ではオープンソースソフトウェア(OSS)という言葉に代替されつつあるが、オープンソースだからといって自由であるとは限らない。折衷案としてFLOSS(Free/Libre and Open Source Software)という言葉も使われる。わざわざLibreというラテン語を入れてまで「自由」という意味を強調するところに、フリーソフトウェア運動としての意志の強さが垣間見える。
翻って日本のフリー素材はどうであろうか。フリー素材とされている各サイトにも、利用規約を読み込んでみると「性的・暴力的表現は禁止」「再配布禁止」などといった事項がずらりと並んでいることが多い。これらは"free as in free beer"であっても"free as in free speech"とは程遠い。
「十分寛大であるのに、多くを求めすぎである」そんな声もあるかもしれない。しかし、特にソフトウェアの界隈で採用されているライセンスであるGPL(先述のリチャード・ストールマンと深い関わりがある)、BSDライセンス、MITライセンスなど、あらゆるライセンスは、その使用用途について全く制限していない。
ソフトウェア界隈が特殊なのではない。オープンなコンテンツのためのライセンスの世界的標準であり、WikipediaやSCP財団などにも採用されているクリエイティブ・コモンズ・ライセンスには、商用利用の制限などのオプションはあるが、特定の種類の表現を禁止するようなオプションは存在しない。これはコンテンツが真の意味で「フリー」であるためには絶対に必要なことなのである。
これは、フリー素材と銘打つすべてのサイトに「"free speech"の意味でのフリーになるべきだ」と要請するものではない。むしろ、私たちすべての個人がフリーという言葉の重みを理解し、注意して使う必要があるという啓発である。
そして、日本でも昨今では「二次創作ガイドライン」や「配信ガイドライン」など公式が定めるルールが増えてきた中で、それらが「本当に自由なのか」ということを、すべての利用者が今一度考え直す必要があると考える。