創造性の時間


「ごはんよー! 起きなさーい!」

母のその声によって、睡眠が強制終了される。毎朝のことだが、少女は非常にうんざりしていた。室温は12度。時代遅れの断熱性能のせいで、部屋は冷蔵庫のように寒い。

なんとか起きて居間へ向かうと、食パン、目玉焼き、サラダががっつりと置いてある。朝からそんな食欲ないっていうのに。

「今日テストなんでしょ? 勉強したの?」
「したよ」
「本当?」
「本当だよ。ていうか、もうそういう時代じゃないし」

収縮した胃袋に無理やり朝飯を詰め込み、急いで準備をして家を出る。

駅まで歩いている途中、宅配ドローンが目の前を掠めていった。「危ないなぁ……」と思わず口に出した。

少女は電車に乗った。奇妙なイントネーションの合成音声で、この先の駅の混雑情報が流れてくる。曰く、いつもよりかなり混むらしい。憂鬱だった。

電車を降りて学校へと向かう。ドライバーが居眠りしているトラックとすれ違うと、ようやく校舎が見えてきた。

教室に入る。誰も制服なんて着ちゃいなかった。皆グループで喋るか、スマホの画面を見ながら喋っている。

チャイムが鳴り、同時に先生が入ってきた。先生は大あくびをした後、「テスト始めるぞ〜」とやる気なさそうに呟く。

テストが始まった。簡単な問題ばかりだ。教科書を少し読めば誰でも90点は取れる。実際少女はその程度の勉強しかしていない。だが今回もまた自分がクラス1位の成績になるだろうと思っていた。


テストが終わると、お決まりのあの時間がやってきた。憂鬱なあの時間が。

「え〜それでは『創造性の時間』を始めたいと思います」

先生の掛け声で、生徒たちは一斉にタブレットを取り出す。ある者は絵を書き出し、ある者は音楽を作り出す。中には配信を始める人もいた。前のほうでは、先生自らも趣味のパチンコについてスマホのカメラに向かって熱弁し始めた。

近くの席から、女子グループの声が聞こえてくる。

「今月のPyroの収益いくら?」
「私、1253円」
「私3721円。円安でちょっと減っちゃったんだけど」
「すご」
「ねえ、みおは?」
「えー……言いたくない」
「気になるなー。」
「しょうがないなあ。……4万5384円」
「うそ!」
「やっぱ大人気インフルエンサーだからねー」 
「今月から支援金貰えることになったから、ちょっと増えたんだ」
「高校生で!? すごーい」

そんな会話が聞こえてくる。

Pyroは個性的なクリエイターたちが集まり、絵や音楽、動画といった作品を統合的に扱うプラットフォーム・SNSだ。「支援金」は、Pyroのフォロワーが多い人に広告料とは別で国からもらえるお金。少女はうらやましかった。それをもらえるのはほんの一握りだけ。

第一、支援金をもらえるような人は広告料もたくさんもらっているのだから、それ以上必要なのか? 少女には疑問だった。

もともとは技術的失業?対策だかなんだかで、毎月全国民が受け取れるものだったらしいのだが、えらい人が最後まで反対し続けて、今の制度になったらしい。

結局少女は「創造性の時間」の間、適当にネットを見て時間を潰した。最近出たゲームについて調べたりしていたのだが、何も頭に入ってこない。何もしていない自分が嫌で、その気分のせいで調べものどころではなかったのだ。


少女はひとり帰路についた。一刻も早く帰りたかったので、近道をすることにした。昔団地と呼ばれていたところを通り抜けると5分ほどの時短になるのだった。

ボロボロの建物が立ち並ぶ中、速歩きする少女。ふと横を見ると、ボロボロの服を来た大勢の人たちが、バリケードの張られた建物の入り口の前で座っていた。いわゆる「無創」たちである。見てはいけないと思い、すぐに目を逸らした。そして、前だけ見ていっそう速く歩いた。

「あら、おかえり」

家に着くと、母は緑茶を飲みながらテレビを見ていた。相変わらず時代に遅れている。少女は返事もせず、自分の部屋に入る。

まぶたを閉じれば、同級生の楽しそうな様子が浮かんでくる。みんなPyroで自分の個性を発揮して、それでお金をもらっている。なのに自分は何もしていない。私には個性がないから。

原因は何となく、わかっている。母だ。何もかも時代遅れで、つまらない。それに父もだ。私が生まれたときから単身赴任していて、年末年始しか帰ってこない。何の仕事をしているのかも知らない。今の世の中で人間がする仕事なんて限られているはずなのに。

そうだ。私たちのような没個性な家庭は、本来、あの旧団地の人たちのようになるべきだったのだ。なのに変に収入があるせいで、生活できてしまっている。

だが、収入があるということは、それだけ初期投資ができるということでもある。そこに目をつけて、少女はついに創造的活動を始めてみることにした。

お小遣いを使って、機材を買った。普通の人にとってはグレードの高い、活動を頑張ってようやく買えるようなものを、いきなり買った。そして外注したアバターを使って、Pyroで配信を始めた。

だが、誰も見に来ない。雑談をしようとしても、話題が思いつかずずっと無言になってしまう。最新のゲームの実況をしてみても、見に来た人がすぐにいなくなってしまう。世界が自分を無視している、と感じた。


少女は家の外に出る。デザイナーズハウスや美術品が立ち並ぶ街。だが少し歩くと、昔ながらの公園が見えてくる。遊具はほとんどテープで封鎖され、球技も禁止されたその公園に来る人は、「無創」の人たちくらいだった。

あてもなく歩いていると、切り株の上に腰掛けている老婆が声をかけてきた。

「なんか辛そうだね」

普段ならスルーするところだったが、何か引っかかるものがあり、足を止めた。

「はい……」
「言ってみ」
「実は……自分に個性がなくて、嫌になっていたところなんです」

打ち明けると、老婆は笑う。

「まあ、そんなところだと思ってたよ。なんたってそうでないとまともに生きられないくらいの世の中になってしまったから」
「昔は違ったんですか?」
「そうとも」

老婆は言った。

「昔はね、今みたいに皆が個性的になろうとしてはいなかった。むしろ、変わり者だと言われて馬鹿にされてたよ。かくいう私も周りより背が低いというだけで下に見られたりしたものさ」
「それは……」
「今だったら希少価値だとかいうんだろうけどね。あの頃はそうじゃなかった」

少女はまだ生まれていない時代のことを想像した。

「でもなんか……今って何もかもそうやって価値に変えようとして、個性だとかなんとかいうけど、それってなんか、何かに取り込まれてるというか、むしろ私みたいに何もない人を孤独にしているというか……正直、その時代が羨ましいです」

「言いたいことはわからんでもない。でもね、そんないいものじゃあなかったよ。今って、学校でいじめや差別なんて聞かないだろ? 昔は本当に多かったんだよ。ちょっとした違いで暴力だったり、暴言だったり。皆が違っていることを、今はみんな受け入れている」

「確かに、そうですね……私が間違ってました」

確かに、個性は素敵なことで、絶対に尊重しないといけない。だからこそ私たちは平和を享受できているのだ。少女は反省して、その場を立ち去ろうとした。

「でもね」

「今の世の中が、あの頃と真逆だとは思わないけどね」


あの日以来、少女は個性についてずっと考え続けていた。すべての人の個性が尊重される時代。ならば、「個性がないこと」も個性として尊重されるのだろうか?

なぜ私の家は生活できているのか? 唯一の収入源は父の仕送り。父は年一回しか会わないが、見たところ個性的な印象はないし、むしろドラマとかで見るような昔ながらのビジネスマンって感じ。Pyroをやっているようには見えなかった。

それでもお金を稼げているということは、何か個性が評価されているからに違いない。それはもしかして、「個性がない」という名の個性なのか?

そうだ。無個性こそが個性なのだ。私は今まで、自分に個性がないと思っていた。でも違ったんだ。個性がない人なんて今の世の中には少ないはずで、それは個性になりうるんじゃないのか?

その時、電話が鳴った。母が出る。すると母が「えっ!?」と叫び、青ざめる。

「パパが仕事場で倒れたんだって」

すぐに2人で見舞いに訪ねた。

「小百合。香菜」

父はベッドに横たわっていたが、顔色はそこまで悪くなかった。

「あなた!」

母が父に駆け寄る。

「やめろよ、そんな大げさなことじゃないんだから……ちょっと目眩がしただけ」

すると、少女は父と目が合う。

「香菜。元気にしてたか? 心配かけたな。正月しか会えなくてごめんな」

父は少女の手に触れる。

「そっちこそ、大丈夫……ですか?」

なんとなくぎこちない会話。

積もる話が終わり、病室を出ると、他の見舞い客が数人いた。父の職場の同僚らしい。彼らは社員証をぶら下げたままだった。

その社員証には、大きく「Pyro Japan株式会社」と書かれていた。