永遠のゆく先へ #16「天変地異」
マリは空を見上げながら、「その日」のことを思い出した
目覚まし時計のけたたましい音で、マリは目を覚ました。
2029年4月7日、午後12時10分。ひどい夜型だが、目覚めは悪くない。だが、もう少し寝ようと思えば寝られたのも事実だ。今だって2回はスヌーズした。寝られるうちに寝ておきたいとも思っていた。何といってもついに週明け、新学期が始まるのだ。
「なんか食べるもの……」
マリは眠い目をこすりながら冷凍庫を漁った。冷凍焼きそば、餃子、オムライス……あまりピンとこない。
「まあ、外で食べよう」マリは公園の近くにある、ハンバーガーのチェーン店を思い浮かべた。マリが1人で入るのに抵抗がない唯一の外食である。
寝ていたいにもかかわらず、こんなに早く(と言っても昼だが)起きなければならなかったのには理由がある。トワがまたエレメントを見つけたと連絡が入ったのだ。もう約束の時間は迫っていた。急いで家を出なければ。
「あ、そうだ」
マリは、リビングの隅の小さな仏壇を見た。出発前に、線香をあげることにした。
正面に飾られている写真の一つは、父のものだった。かなり古い写真で、マリが生まれる前に撮られたのではないかと思われるほどだ。写真を撮られ慣れていないのか真顔だが、口元だけ少し笑っているようにも見えた。
線香をあげ終わり、マリは出発しようとした。直前になって、リビングのテレビがつけっぱなしであることに気づいた。母が消し忘れたのだろう。
「未曽有の大災害から今日で9年。今もその爪痕は全国各地に……」
マリはリモコンの電源ボタンを押した。
「6600万年前……だと……?」リカが声を震わせた。
「何だっけソレ」カナタが尋ねる。
「K-Pg大量絶滅。平たく言えば恐竜絶滅だ」リカが答えた。
「ああ! それそれ」とカナタ。「あんな大きい生き物がいなくなっちゃうって、どういうことなんだろうね」
「恐竜の全部が大きいわけじゃないぞ。それに生き残った恐竜もいるだろ」
1匹の小さなスズメが、そばの草の上を飛び跳ねるのが見えた。
「しかもこの映像はどう見ても……」リカが、トワが空中に映し出したホログラムを見ながら言った。そこには、陸地近くの海の上に、綺麗な円形をした巨大な島が見えた。
「いや、島じゃない。凹みだ。まさか……クレーター?」リカが眼鏡を直しながらホログラムを凝視する。
「もう少し拡大してみましょうか」
トワは映像をさらにズームさせてクレーターの内部を明らかにした。そこには海の水がなく、池や川のようなものがあり、シダ植物が生い茂っていた。その中を恐竜たちが闊歩していた。
「あり得ない……」とリカ。「ここは……恐竜絶滅のまさに現場じゃないか」
「それがあり得るのがエレメントの力でしょ?」とカナタ。
「でも……確かに、K-Pg境界を越えた恐竜がいるという説を見たことはある。だが、さすがにユカタン半島にいるなんてことは……」
「なあに、まだ疑ってるの? この間トワっちのこと疑ってたけどさ」
「うぅ……それは悪かったよ。疑いすぎるのは私の悪い癖なんだ」
「では、そろそろ行きましょうか」
トワはペンダントを握り、祈る。草が揺れる。最初はそよ風、それが竜巻に変わる。マリたちは白い光と轟音に包まれた。身体の表側と裏側が入れ替わるような感覚が後に続く。
「しかし、こんな日に恐竜絶滅って……。何かの偶然だろうか」
そのリカの呟きは、音の洪水の中に飲み込まれて消えた。
「マリりん! 起きて!」
カナタの声でマリは目を覚ました。マリは草の上に座っていた。元いた公園にも草があった。もしかして失敗したのか?
その疑念はすぐに杞憂となった。
「すごいぞ……」リカは口をあんぐりと開けて辺りを見回す。
目の前には、トワのホログラムで見たとおり、シダ植物が生い茂り、池があちこちに広がるまさにオアシスだった。
「マリりんいっつも寝てるよね。あたしはもうすっかり慣れたよ」
「私もだ。軽くめまいはしたけど、もう治った。酔いみたいなもんなのかもしれないな」
カナタとリカの会話をよそに、マリは深呼吸する。空気が気持ちいい。
「どうやらここはバリアなしでも大丈夫そうですね」トワが言った。
唯一気になるのは、背後にある岩の壁だった。
「クレーターの端だろう」リカが壁に触れる。「ここを登って出ていくのは……無理そうだな」
「エレメントなしなら、だけどね」とカナタ。
「さて、エレメントを探しましょう。と言っても、大体当たりはついてるんです。こっちに行きましょう」
「今日は手際がいいね」とカナタ。トワは自慢げに「もう7個もエレメントを集めましたからね」と胸を張る。
マリたちはトワに導かれるままに進んだ。
カナタは歩きながら「恐竜がいないね。どっかに隠れてるのかな」と周囲を注意深く観察していた。
一行は鬱蒼としたシダの森に入っていく。すると、それはいた。
そこにいたのは、マリたちよりも一回り大きい、羽毛の生えた恐竜だった。
「や……やばっ!」
叫びかけたカナタの口をリカが急いで塞ぐ。マリたちの少し奥で、丸まって眠っている。こちらには気づいていないようだ。
「小型の獣脚類。鳥に近い仲間だな」とリカ。
「人食べたりしないの?」小声で話すカナタ。
「わからない、だが肉食のハンターだ。少なくとも攻撃される可能性はある……」
その時、その獣脚類恐竜が目を覚ました。鋭い眼光がカナタを捉える。
「と、トワっち!! 助けて!!」両目が合ってしまったカナタが叫ぶ。
「は、はい! とりあえず飛び上がって……」トワがペンダントを掴む。
しかし、獣脚類恐竜はこちらに興味を示すこともなく、木の葉っぱを枝ごとむしり取った。
「嘘だ……あいつはどう見ても肉食だぞ……」リカは驚愕する。
そしてそのまま、どこかへと去っていった。
「助かった……?」カナタは辺りを見回す。
「おい、この辺は危険だから開けた場所を歩いた方が……」
リカが言ったが、トワは聞いていない。彼女は立ち去る獣脚類恐竜を目で追っていた。
「あの恐竜が向かう先……エレメントの方ですよ」トワが指さす。
「ど、どういうこと? エレメントに恐竜が?」とカナタ。
「追いかけましょう!」トワは進む。
「ま、待ってって……」リカを筆頭に、3人もついていく。
マリたちはその獣脚類恐竜の後をこっそりつけていた。やがて森の中の開けた場所に出た。4人は茂みに隠れる。
そこには、異様な光景が広がっていた。
中心部には木を乱雑に積み重ねてできた囲いがあった。その狭い空間の中に、ずんぐりとした体形の、おそらく子供の小さな恐竜たちが何十匹も歩きまわっていた。
「何これ?」カナタが声を殺して言う。「分からないが、なんとなく……」
先ほどまでつけていた獣脚類恐竜が囲いを跨いで中に入り、咥えていた枝付きの葉を地面に置いた。すると恐竜の子供たちは我先に群がり、草をむさぼり始める。
「かわいいね。子育てしてるのかな?」保育士を目指しているカナタは、その光景を食い入るように見つめる。
しかし、獣脚類恐竜は、帰り際に一匹の子供に噛みついた。
一斉に逃げる子供たち。獣脚類恐竜はゆっくりと味わうように顎を動かして飲み込むと、もう一匹に噛みつこうとする。
「牧場……?」マリはつぶやく。
するとその時、遠くから猛烈な勢いで恐竜が走ってきた。それは同じ種と思わしき獣脚類恐竜だった。走ってきた恐竜は食べていた恐竜にタックルして弾き飛ばした。食べていた恐竜は起き上がり、走ってきた恐竜の前にトボトボと歩いていった。走ってきた恐竜は、そのまま相手を尻尾で10回叩いた。そして、二頭はどこかへ去っていった。
あまりの出来事に4人は次々に顔を見合わせる。
「何が起きたの……?」とカナタ。
「……罰」とマリ。「罰を受けているように見えた……走ってきたのは管理者か何かで……何かやってはいけないことをしたから」
「恐竜の世界に法律があるの?」カナタは言った。「そんなはずはないが……」リカは答える。
「前にリカさんが言ってましたよね。秩序のないところに秩序を与える。知性のないところに知性を与える。それがエレメントの性質だとしたら……」
マリは冥王星で聞こえた歌声を思い出した。これがエレメントの力?
「もしかして、勝手に食べたのがいけなかった……ですかね」とトワ。
「いや……一匹目の時は見過ごしていた。でも二匹目はダメだった。つまりあの葉っぱは……対価みたいなものか?」リカは言った。
「……経済?」マリはぼそっと呟く。
「そうだ。全く馬鹿げているが……ここには、知性を持った恐竜たちの社会がある。経済がある。そういう場所ってことだ」
リカが分析するが、トワはさらに次のことを考えていた。
「エレメントはすぐ近くです。行きましょう」
4人はわけがわからぬまま、草むらに隠れつつ進む。
「この中です」トワが指さしたのは、洞窟。それもかなり大きな洞窟だった。
「クレーターの中に洞窟とは……」リカが首をかしげる。
しかも、中はほのかに明るい。光が不規則に揺らめいている。4人は洞窟の中へと進む。何回か蛇行して、ついに最奥部が見えた。
4人は手ごろな岩に隠れながら覗く。そこには、さっきの獣脚類恐竜と似ているが、2倍以上の大きさのある個体がいた。身長だけでなく、鱗の下にある筋肉の量も尋常ではなく多いように見えた。まるで王様のようだ。隣には4体もの通常個体を従えていた。近衛兵ってところか。
「あれ……」トワが困惑する。
「どうしたの?」カナタが尋ねる。
「エレメント……あの恐竜の中です」
「恐竜の……中?」カナタは目を丸くした。
「……だが、つじつまは合う。もともと全部の個体がおかしいが、あの個体は輪を掛けて異常だからな。あれが震源ってところか」
「でもどうするの? どうやってエレメント取るの?」カナタが尋ねる。
「かなり接近しないと取れません……」とトワ。「その前に食われるかもな」とリカ。
「『そのエレメントください!』ってお願いしてみたら?」カナタが提案した。
「そんなので譲ってくれるわけないだろ」
「でも、知性があるんでしょ? やってみたら意外とってことも」
「……まあ最悪エレメントの力で逃げればいいか……」
というわけで、カナタが草むらから出ようとした。
しかし、次の瞬間。20体以上の大量の獣脚類恐竜の群れが後ろから走ってきた。
「何だ……?」
彼らは集団で護衛を蹴散らし、王のような個体に群がって食いついた。王はその膂力で振り払っていたが、なにしろ数が多かった。王は血を流して倒れ、意識を失った。その王を、襲ってきた群れが食べ始める。
「何だこれは……」リカは目を背ける。
皮を引き裂き、骨を貪る。瞬く間に王は骨だけになった。するとそのうちの一体の身体が大きくなり、目に見える速度で筋肉が急発達し始めた。
「これは……新たな王の誕生……ってこと?」とカナタ。
新たな王は、群れを従えて洞窟を出ようとした。すると倒れていた元王の護衛のうち一匹が、新たな王についていこうとする。しかしすぐに他の個体に襲われ、動かなくなった。
そうして新たな王は立ち去った。
静寂が流れる。
「……革命が起きたんだ。完全実力主義社会の」とリカ。
「……とりあえず、追いましょう」
トワの言葉に、4人は来た道を引き返した。
途中、さっきの牧場を通りがかった。そこは荒らされていて、何体かの獣脚類恐竜が互いに餌を奪い合っていた。
4人は森の外に出た。すると、そこには凄惨な光景が広がっていた。
さっきの王のように肥大化した獣脚類恐竜が20体以上、地面にばらばらと倒れていた。どの個体も血だらけで、肉が露出していた。そのうち一体のみが闊歩していた。
「オイ……これは……」とリカ。
「共食い?」とカナタ。
「いや……権力争い……か?」
「あたしたちが追われる方がまだよかったかも」
血の匂いが立ち込める。まさに弱肉強食。悪夢のような出来事の連続に、マリは思わず口を押さえる。
さらに次の瞬間。地鳴りがしたかと思うと、遠くの空で煙が舞い上がるのが見えた。
「火山が……噴火した……?」
リカは動揺し、息が上がり、膝をついて倒れる。
「リカちん……!?」過呼吸気味になるリカ。
何という偶然だろう。まさか今日、こんなことになるなんて……。マリは空を見上げながら、「その日」のことを思い出した。
小学生だったマリが最初に気づいたのは、ドンという音と、窓ガラスの震えだった。
その後、防災無線が一斉に鳴り始めた。窓を開けても、音が反響して何を言っているのかわからなかった。だが、緊急事態が起きていることだけはわかった。
マリはすぐにテレビをつけた。
「富士山 大規模噴火」
「噴火警戒レベル5(避難)に引き上げ」
「最大震度4の地震が発生 火山性地震とみられる」
そこには、仰々しい文字と、噴煙が立ちのぼる富士山のライブカメラ映像が映っていた。
そういえば最近、富士山がどうとか騒がしかったと、その時になって思い返した。でもあまり気に留めていなかった。小学生だったし、世の中に関心なんてまだなかった。文房具とかシールとか、そういうことにしか興味はなかった。自分には関係ないことだと、思っていた。
噴火してもなお、実感はなかった。どこか遠くの世界のことだと、思っていた。
「お母さん、大丈夫かな……」
マリは思わず、テレビの電源を切った。外は見れなかった。
1時間ほど経った後、母が仕事から帰ってきた。
「お母さん……」
「真理、大丈夫だった?」いつも気だるそうな母が、とっさに娘を抱きしめる。
「うん……」
「急いで帰ってきた……道がすごい混んでて。自転車だからまだよかったけど。まだ灰振ってなかったけど、今降り始めたみたいね……」
家の外からパラパラという音がしていた。
「それよりお父さんが心配……あの人、今あの辺にいるから……」
マリは窓の外を見た。富士山は見えなかったが、空へ昇っていく煙ははっきりと見えた。マリはこの時初めて、恐ろしいことが起き始めていることを理解した。
(続く)
