インターネットでは、日々色々なコンテンツがシェアされ、拡散される。
コンテンツをシェアするとき、そこには何らかの感情が伴っているはずである。その感情とは、ほとんどの場合、2パターンのどちらかである。それは、笑いと怒りだ。
インターネットで広く拡散されるコンテンツは、ほとんど笑いか怒りに基づいている。笑える動画や言葉がバズり、不適切な発言や世の中の理不尽なことが炎上する。
なぜその2つになるのかというと、これは本能的なものだろう。怒りと笑いは、本能に強く訴えかける感覚がある。怒りは危険や闘争といった、命に直接関わる感情だし、笑いも社会的なつながりを築くにあたって最も重要な感情だ。
でも、人間にはそれ以外の感情だってある。例えば悲しみ。でもインターネットで悲しみが広がることはそんなにない。有名人の訃報くらいである。それも元々その人のファンだった人くらいにしか届かない。怒りのように、それまで全く関係なかった人が突然参加してきて、同じ感情を共有するといったことは起こらない。
それ以外の不安、期待、焦り、罪悪感、愛しさ……。それらを表明するような言葉もインターネットに流れるが、それが怒りや笑いほどの注目を受けることはない。SNSでいうと、せいぜい3いいねくらいが限度だ。
だから、インターネットに染まりすぎると、怒りと笑い以外の感情を忘れてしまう。そうならないために漫画、アニメ、ドラマ、音楽といった創作物があるのかもしれない。それらの中では、人間が感じうるあらゆる感情が、あらゆる手段をもって表現されている。そういった創作物に触れず、実生活も適当に過ごし、インターネットという名のリアルの表層だけを眺め続ける生活をしていると、自然とわかりやすい感情以外が消え去ってしまう。
それってなんだか寂しいことのように思える。けれども、疲れていると、そういう複雑で深みのある感情に触れるよりも、わかりやすい感情のほうが欲しくなるものだ。もし最近笑いと怒り以外の感情を忘れてしまったと思ったなら、疲れているサインなのかもしれない。その疲れがインターネットから来ているのか、実生活から来ているのかはわからないが、一旦インターネットから離れ、自分を顧みる必要があるのかもしれない。