偏見こそが人間らしさ?


人間にあって、AIにないものとは何か。いろいろ考えられるが、最大の違いは「人間は偏見を持つが、AIは偏見を持たない」ことにあると考える。

まったくの嘘を書いた。実際、AIが偏見を持ちうるということは2016年の時点でマイクロソフトのAIがはっきりと示しているからである。私が言いたかったのは、「AIは一切の偏見を持たないようにトレーニングされる」あるいは「そうトレーニングされることが望ましいと社会は考えている」ということである。

だが、人間らしさという点で考えてみると、私はそうした風潮に疑問を呈する。なぜなら私は、偏見こそが人間らしさの根源であると思うからだ。

誤解しないでいただきたいのは、私は悪意を持った差別をAIがバシバシ出力するようになることは支持していないということである。ここでいう偏見は、後述するようにもっと広い意味でとらえてほしい。

今のAIはクラウドサービス中心なのもあり、1つのモデルに対して1つの重みしかない(おそらく)。一方で人間は、同じ人間というモデルでありながら、違う思考を持ち、違うことを言う。この個人による違いはすべて「平均からの偏り」であり、ある意味偏見といえる。

この「平均からの偏り」は、AIからは取り除かれる。その結果、当たり障りのないことしか言わない、ある意味「つまらない」知能が生まれる。人間は偏りがあるからこそ、その勾配から創造的なアイデアや行動が生まれるのである。中には悪意のあるものもあるが、それがすべてではない。

今のAIに偏見があるとしたら、それは学習データがもつ偏見、あるいは学習データ自体の偏りによるものである。つまりその偏見はAIが自ら生み出したものではない。しかし、人間らしさに繋がる偏見は、偏見の中でも自分で生み出した偏見である。つまり「自動的に偏見を持つようになるシステム」こそが、真に人間らしいシステムである。

自動的に生まれる偏見には2種類ある。ひとつは、人間の脳がそれぞれ別の体に入っており、別々の環境で別々の体験をすることによる違い。ただ、これはある意味学習データの偏りと同じである。

もっと重要なのは、認知バイアスである。例えば、人間は確証バイアスによって自分の考えを自動的に強化するようにできており、皆とほとんど同じものを見ている(=学習データが同じである)のにも関わらず偏見を生み出すことができる。他にも人間の認知バイアスは、かなり公平なデータからでも偏見を生み出す。さらに、思想や一時の感情は、人間の振る舞いに大きな影響を与える。

これらのバイアスを明示的に実装することで、AIはより人間らしくなることだろう。もちろん、それによって増えた有害な偏見、つまり差別やデマなどへの対策は、今以上に重要になってくるが。

すでにChatGPTなどでは、曖昧な質問をした場合、チャット内の過去の応答と一貫性がある返答をしやすい印象がある。これは便利かと言われたら微妙だが、人間らしいといえば人間らしい。

ただそもそも、今のAIの使われ方からして、人間らしさはそんなに望まれていないような気もする。便利で使いやすければいいという考え方も、あるにはある。その方がややこしい問題が発生しにくいのは明らかだ。しかしAIに人格を持たせるキャラクターAIの需要もあるため、不要とまで言い切れないのではなかろうか。